風船に生物兵器をつけて飛ばせば相手地域に大打撃を与える
実は北朝鮮も2018年までは韓国政権を非難する政治宣伝ビラを風船に付けてばらまいていた。今回それをゴミに切り替えたのは、ビラの散布合戦をしても韓国内の世論に影響を与えることはできない状況の中で、北朝鮮住民の目に触れさせたくない韓国からのビラ散布を止めることに主眼を置いたためとみられる。
金与正氏の談話は「韓国の連中は、わが人民が散布するゴミを真心のこもった『誠意の贈り物』とみなして引き続き拾い集めなければならない」と、韓国を嘲笑するかのような文言もあるが、今回、韓国側の対応は深刻なものだった。
「28日夜にレーダーで多数の風船が飛ばされたことを察知した韓国軍は、爆発物処理班とともに、毒ガスや細菌兵器、核で汚染された人やモノを洗浄する特殊部隊を、落下が確認された地域に送り厳戒態勢を敷きました。袋に細菌やウイルスなどが入っていれば甚大な被害を受けるからです。
実は2021年、新型コロナウイルスの流入阻止のため国境をほとんど封鎖していた北朝鮮内で遂に感染者が出たことが隠せなくなったとき、北朝鮮当局は韓国が散布したビラなどにウイルスが付着して流入したと主張したことがあります。もちろん、そんな言い分を西側諸国は相手にしませんでしたが…」(韓国軍担当記者)
GPSの妨害電波、ロケット砲も発射
風船が落ちたのは南北軍事境界線近くだけではない。
「北朝鮮から数百キロ離れた韓国南西部の全羅道地域でも発見されました。さらに、首都ソウル北部にある日本大使館が入るビルの屋上にも落ちているのが見つかっています。風まかせではありますが、こうした重要施設に落ちることも韓国軍は防げなかったわけです」(日本メディア特派員)
風船を送った直後の29、30両日には北朝鮮はGPSの妨害電波を発信し、朝鮮半島西側の黄海で操業中の韓国漁船のGPSを一時使えないようにした。
さらに30日早朝には首都平壌付近から東方の日本海側に向け口径600ミリの「超大型放射砲(ロケット砲)」を18発同時に発射。31日朝、朝鮮労働党機関紙、労働新聞は、これが金正恩氏が現場で直接指導した「威力デモンストレーション」で、365キロ先の目標の島に命中させたと報じた。
北朝鮮は過去数年間、弾道ミサイルなどを頻繁に発射してきたが、「実験」や「訓練」目的だと表明することがほとんどで、金正恩氏が現場に出て威嚇目的の同時多発発射を行なったことは極めて異例だ。
6月下旬の開催を予告している朝鮮労働党の重要会議、中央委員会総会を前に緊張激化を演出する狙いとみられ、ゴミ爆弾もその一環だったとみられる。
一方で、ゴミをばらまく手法からは、北朝鮮が攻撃的な口調とは裏腹に、緊張を高めることはしても米韓と軍事衝突をする気はないことを示しているのでは、との分析もある。
「実は金正恩氏が最高権力者の地位に就いた2011年12月以降、南北間で実弾が飛び交ったのは、2015年8月に小規模な砲撃が軍事境界線付近で交わされたことなど数えるほどです。
2020年6月に開城の南北共同連絡事務所を爆破するなど派手な動きはあっても、北朝鮮が韓国に“手出し”をしたのはサイバー攻撃やドローンを侵入させる程度。ゴミ散布も実際の戦闘までに至る可能性は低い水準の挑発です」(南北消息筋)
この消息筋はその理由を「北朝鮮が米韓の報復攻撃を本当に恐れているからだ」だとみる。
「金正恩氏が進める核開発は、米韓が金正恩氏を中心とする北朝鮮首脳部をピンポイント爆撃などで暗殺する“斬首作戦”を実行に移させないようけん制する目的が大きいとみられます。
2010年11月の延坪島砲撃のような行動をとれば、米韓の報復攻撃を招いてしまい、政権は危機に追い込まれかねない。そのため、緊張は高めても米韓に反撃に出る口実を与えない程度の低い水準の挑発を行なっていることがうかがえます」(同筋)
だが、南北間には偶発的な軍事衝突が起きた際に収拾する対話チャンネルが途絶えている。加減を間違えれば局地戦から全面戦争に発展しかねない危険な状況は依然、続いている。
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班