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死後も巻数が増える
北朝鮮の『金日成著作選集』

本村 教典は宗教にとってまさに公文書みたいなものですから、きわめて重要です。さすがに公文書を暗唱している役人はいないでしょうから(笑)、その役割の重さは宗教の教典のほうが大きいと思いますが。

佐藤 暗唱しないと、すぐに話の中で引用できませんからね。聖書の場合、正確にすべて引用することまでは難しいですが、どの話がどのへんに書かれているかぐらいのことは、基本的な神学教育を25年ぐらい受けていればできます。そこらへんの町のプロテスタント教会にいる凡庸な牧師だって、それはできるでしょう。カトリックや正教の人たちは知りませんけれど。

本村 そのあたりは、プロテスタントとかなり違うんですか。

佐藤  カトリックや正教は、儀式だけきちんとやっていればいいんです。神社で祝詞を上げている神主たちが、『古事記』や『日本書紀』をちゃんと読んでいるかどうかはわからないでしょ?それと同じようなものですね。

プロテスタントは聖書主義なので、毎週、聖書に基づいた説教をしないといけません。だから、どんな牧師だって一生のあいだに20回ぐらいは聖書を読むわけですよ。どんな人だって、同じ本を20回も通読したら内容を覚えるでしょう。

本村 20回はけっこう大変そうだなぁ。

佐藤 でも、1か月分の新聞のほうがテキスト量は多いですよ。

本村 ドストエフスキーが獄中に4年ぐらい入っていたとき、聖書しか読めなかったんですよね。だから、すごく読み込んでいる。

佐藤 それこそ戸田城聖も、治安維持法違反と不敬罪の容疑で2年余の獄中生活を送りましたが、東京拘置所で法華経全巻を読み進めました。それが創価学会の礎になったわけです。そういう経験が記されたテキストは、キャノン(正典)の一部になるんですね。

たとえば幸福の科学の大川隆法さんが亡くなりましたが、残された信者が何を規範にするかといったら、彼の霊言に頼るしかありません。

本村 そうでしょうね。それ以外に頼るべきものがないとなれば、それは自然なことだと思えます。

なぜ北朝鮮では金日成の死後も彼の言葉をまとめた『著作選集』が次々と発行されるのか?日本の宗教家の「霊言」との共通点は_1
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佐藤 彼の霊言集よりも先には行けないんですよ。たとえば北朝鮮の『金日成著作選集』は、最初は8巻でした。これは生前に刊行しています。その後、『金日成著作集』は44巻まで増えましたが、その途中で本人は死んでしまいました。

しかしその後も増えて、いまは『金日成全集』が106巻まで出ています。いまの金正恩体制になるまでの北朝鮮は遺訓政治だったので、新しい政策をやろうと思ったら、それを金日成が指示していたことを示す新しい文書が必要だったんですね。だから、次々に文書が「発見」されるわけです。