軍曹
その人は「軍曹」と呼ばれていました。バーレーン(中近東)支店の日本株営業部長で、猪突猛進型の典型的な野村の営業マンです。見込み客がいれば地の果てまで追いかけていくタイプでした。
ロンドンに留学していたので英語も上手。本来エリート社員のはずなのに、なぜか砂漠の支店で「刀を振りかざして全員突撃!」のような日本株の営業を仕切っていたのです。まず自分が切り込むタイプの人だったので、あだ名が「大佐」とか「中佐」ではないんですよ。まさに「軍曹」って感じでした。
私が海外投資顧問室に2年ちょっと在籍している間は、海外出張が6回ぐらいありました。同期3人のうち私が突出して英語が下手だったので米国には連れて行ってもらえず、東南アジア、中近東要員となりました。マレーシア領ボルネオ島にまで外交に行ったこともあったんですよ。「どうせ相手も英語が下手だから清原でもやれるだろう」ってことで。
時は1982年、第二次オイルショックの頃です。サウジアラビアは超好景気に沸いていました。そこに日本株を売り込みに行こうってわけです。株式部の常務を筆頭に4人ぐらいの部隊(2人ずつの2チームに分かれます)を本社から送り込んで現地のセールスマンと合流して顧客開拓を行います。
やり方としては、まず現地の最高級ホテルで「日本株セミナー」を開きます。日本から来たアナリストがプレゼンし、そのセミナーに来た人の名刺を頼りに後で個別に外交するわけです。
ここで予期せざることが起きます。私は鉄鋼・非鉄担当のアナリストだったので「新日鉄」を推奨しようとプレゼンを用意していました。ところが、セミナーの前日に「軍曹」が「新日鉄は儲からないから日立のプレゼンをしてくれ」と言うんですよ。それで、夜中に国際電話をかけて担当アナリストに事情を説明し、ポイントを聞かせてもらい何とかプレゼンの資料を作りました。
セミナー当日、私は思いました。
「どうせ俺のプレゼンは酷いことになる。でも、この人たちに半導体の詳しい話をしてもどうせわからない。だったら、とにかく『日立』の名前を大声で連呼して覚えてもらおう」
プレゼンは20分ほどでした。軍曹は寝ていました。プレゼンが終わると、軍曹はこう言いました。
「いやあ清原君、素晴らしいプレゼンだったなあ。堂々としていてとてもよかった」
あんた本当に聞いてたの?