「耳は元に戻らないので補聴器をつけないと…」

「今は飯田小学校には100人ほどの人たちが避難生活していますが、そのうちの10人がコロナに罹ってしまったそうです。また、家内の耳が聞えなくなってから、すぐに私も家内も咳が止まらなくなりました。

私は夜中に咳こんで目がさめてしまうくらいで、まわりの人に迷惑やろなあって思いながらも、こればかりは止まりませんから……。教室内の空気の入れ替えは日に2度ほどと頻繁にはできませんし、咳をするのにも気を遣いながらの生活でしたね」

取材に応じる重雄さん
取材に応じる重雄さん

避難所には日赤の医師が定期的に被災者の健康を診に来ていて、重雄さんがコロナの検査を受けると、結果は陰性。ホッと胸を撫で下ろしたが、その数日後に診てもらった久美子さんは陽性だった。医師に「おそらく旦那さんもコロナの可能性が高いでしょう」と言われ、重雄さんはすぐに避難所を出る決意をしたという。

「他の人に迷惑をかけるわけにはいかない、学校におるわけにはいかん、と思いました。診断してくれた先生からはコロナ患者を隔離するための教室もあると聞いていましたが、幸いにも私たちは娘の嫁ぎ先にしばらくいれることになったので避難所を出ることにしました。出る際に誰かに報告するようなシステムがあるわけではないので黙って出ました」

避難所の飯田小学校で集団生活を送る様子。中央で横になっているのが重雄さん(本人提供)
避難所の飯田小学校で集団生活を送る様子。中央で横になっているのが重雄さん(本人提供)

避難所を出た後に、親しかった人たちに久美子さんが電話をし「コロナ陽性と言われて慌てて黙って出たのでごめんなさい」と伝えたという。久美子さんは当時をこう振り返った。

「私も主人もコロナに罹って高熱は出なかったものの、咳はひどかった。私自身は避難生活も楽しくやっているつもりでしたが、知らず知らずのうちにストレスを溜めていたのかもしれません。

これまでも聞き取りづらいことはありましたが突然、左耳がファッといった感じで聞えなくなりましたから。咳は治って耳もだいぶよくはなりましたが、おそらく元には戻らないらしいので、補聴器をつけなきゃなと思っています」