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「みんなポジティブにやっとるよ」

災害関連死15人を含む犠牲者は250人を超え、今なお19人の安否がわかっていない。地震や津波による住宅被害は4万余棟に及び、大規模な断水が続くなど生活インフラの復旧の見通しが立たないなかで、多くの被災者が今なお避難所などで不自由な生活を強いられている。

被害の甚大さを物語る珠洲市の町並み
被害の甚大さを物語る珠洲市の町並み
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日本海の荒海に面した奥能登の珠洲市沿岸部は津波の被害も深刻だ。被災直後には倒壊家屋や家財など多くのがれきが路上を覆い尽くし、約1ヶ月経っても海岸沿いの道にはいまだテレビや冷蔵庫、イスなどが散らばっている。

波打ち際には転覆して逆さまになった船が、地面に突き刺さったままになっていたり、家屋の1階部分に車が突っ込んだ状態で放置されていたりと、復興が順調に進んでいるとは言い難い状況だ。

中心市街地から離れた同市三崎町大浜地区は32世帯約70人が住む集落で、そのほとんどは50〜70歳代の高齢者だ。そんな集落の唯一の避難所、大浜集会所で中心的存在となっている同地区区長の舟木茂則(67)さんは、「起きてしまったもんはしかたねえ。みんなポジティブにやっとるよ」と前を向き、避難生活をこう振り返った。

同市三崎町大浜地区長、舟木茂則さん
同市三崎町大浜地区長、舟木茂則さん

「珠洲市の中でもこの集落の被害は深刻だね。津波でオレの船も流されたし、家の中まで水浸しになっちまった。家が半壊した連中もおる。だから地震があってすぐのころは、ここの集会所で30人近くの住民たちが肩を寄せあって雑魚寝してた。市街地の避難所とは違ってなかなか支援物資が届かなかったんやけど、不幸中の幸いか、正月でおせちや食料の備えがたくさんあったから耐えられた。

あと、ここら辺は農家も多いから野菜には困らなかったし、井戸も近くにあるからそこで水を汲んだり、発電機を回したり、薪ストーブで暖をとったりしてみんなで協力して乗り越えたんだ」