「いままで育ててもらった分の返済義務があると思え!」

体が思うように動かなくなった。

収入が途切れた。

このときの主治医から生活保護を受けるように勧められ、彼女はその申請をした。自殺未遂事件を起こす、つい半年前のことだった。

「気づいたら高層マンションの最上階の外階段に立っていて…」知らない間に自傷する人たちに共通する“幼少期のある経験”_5

その申請の場で、「支給される生活保護費の一部を母親に仕送りすることはできますか?」と真面目な顔をして聞いたものだから、申請の相談を担当した職員は呆気にとられていたという。「困っているのは、あなたのほうじゃないの?」と言われ、言うまでもなく仕送りをすることは認められなかった。

やがて、母親からの電話が鳴りやまなくなった。

「お金が振り込まれていない!」「いままで育ててもらった分の返済義務があると思え!」「私が取りに行ってもいい。住所を教えろ!」「なんの取り柄もないんだから、金くらい払え!」

幼少期の、母親からされた虐待の数々がフラッシュバックした。

気がつくと、どこか知らない海沿いの町の小さな交番にいた。傍らには、迎えにきたケースワーカーが心配そうな表情をして立っていた――。

解離性障害の治療は、非日常的な外傷体験によって飛び出てしまった日常の世界に再び「戻る」ことである。しかし、それはあくまでも普通の環境で生きてきた人に適用できる方法である。

もともと異常な環境で育った彼女は、異常であることが日常だった。だから、「戻る」という表現は適切ではないかもしれない。正確には、日常生活のなかには安心と安全があるのだと、カウンセリングの過程ではじめて「知る」ことなのだろう。

この効果は、精神科薬を内服するだけでは得ることができないものである。