繰り返される記憶の空白
これから取りあげるのは、解離性障害の事例である。これを入り口にして、“虐待サバイバー”の心に深く刻まれた虐待の傷あとを理解していく。
解離性障害は、重大なストレスによって生じる「一時的な自我の破綻」である。虐待を受けていると必発するわけではないが、とくに被虐待者は発症しやすいのではないかと私は思っている(ジュディス・L・ハーマンは著書『心的外傷と回復』で、友田明美は論文『被虐待者の脳科学研究』で、児童虐待と精神疾患の深い関連を指摘している)。
そして、一般に行われている治療だけでは、効果は十分ではないとも感じている。その理由は、ふたつある。
ひとつ目は、今日の精神科で行われている治療の主体が薬物療法であることだ。心の傷によって発症した心の病には、精神科薬の効果が薄いことが少なくない。
ふたつ目は、心理療法(体系化された理論を用いて行う心の治療の総称)では、どうしても治療者の主観が入り込んでしまって、被虐待者の特殊な心理を捉えていくことが難しいことである。
それゆえ、これらの問題を理解しないで治療を行った結果、かえって彼らを追いつめてしまっていることがある。
彼らへの治療が、なぜ、うまくいかないのかを私なりの視点で記していく。そして、彼らとの関わりから見えてきた精神科医療の問題点も取りあげていく。
以下で紹介するのは、聞いているこちらが耳を塞ぎたくなるような悲惨な虐待を生き延びてきた女性である。それによって負った心の傷が、大人になって解離性障害として現れた。精神科病院に通院し、生活保護を勧められた。
彼女のこれまでの人生を知れば、虐待というものがどれだけ心に深い傷を負わせるのかがわかるだろう。そして、虐待する側の異常性も見えてくるだろう。しかし、ときにその異常性を、専門家ですら見落としてしまうことがある。
丸山由佳子(まるやまゆかこ)さん(35歳)の話を聞くようになったのは、ある事件がきっかけだった。それは、――自殺未遂事件である。だが、自殺を企てたはずの当の本人に、その記憶がまったくない。
気づいたら知らない町にいた、そこは交番だった、それから、彼女の担当ケースワーカーが迎えにきた。記憶にあるのは、それだけ。しかも、直近3日間の記憶自体が、すっぽりと欠落しているというのである。
「記憶がないあいだに、なにか変なことをしていたらどうしようと思って怖いです。数時間、記憶がなくて、気がつくと買い物していたり、道路の真ん中に立っていたり。自分がおかしくなってしまったんじゃないのかと思って怖い。この前は、踏切のなかにいたみたいだし……」