東映VS東宝の戦争映画戦争

ゴジラを生み出して日本の特撮映画をひとつのジャンルとして築き上げた円谷英二監督※が死去して15年以上が過ぎ、シリーズ化したゴジラも作られなくなってもうじき10年になろうとしていても、特殊撮影を用いた映画は、全盛期ほどではないけれども——作られていました。
※つぶらや・えいじ(1901~1970)。ゴジラやウルトラマンを生み出し、日本の特撮の礎となった映画監督

一世を風靡した怪獣映画はなりを潜め、かわりに大規模な戦争映画でどうしても再現できない部分を特撮を用いて表現していました。全盛期には怪獣映画の合間を縫うように撮影していた戦争映画のために、野球のグラウンドが入るのではないかというほど巨大な撮影用プールが作られ、そこに太平洋戦争時の日本海軍の戦艦や空母のミニチュアが浮かび、戦闘を繰り広げる毎日でしたが、そのころには見る影もありませんでした。

ところがそんなプールがまた忙しくなってきたのです。真っ先に封切られて大ヒットになったのが、東宝ではなく東映製作、100年前の日露戦争で最大の激戦となった、敵の軍港を見下ろす山を巡る日本とロシアの陸軍による血みどろの一大攻防戦を描いた『二百三高地』(1980)。オリジナル脚本は『仁義なき戦い』(1973)シリーズや、『県警対組織暴力』(1975)の笠原和夫。

太平洋戦争の苦しみをさまざまな視点から描き抜く。『二百三高知に』続き樋口真嗣を圧倒するこの戦争大作を世に送った舛田利雄監督は、ほぼ同時にアハハンなヒット作も撮っていた!【『大日本帝国』】_2
大規模な特撮が実現した『二百三高地』 
1980年公開 ©東映 Prime Video 東映オンデマンドで配信中

社会に圧殺される人間に光を当てて権力を断じる骨太の作風で、日本が世界を相手に戦争を始めていくきっかけとも言える日露戦争での勝利への端緒でありながら、絶望的なまでの犠牲を生んだ戦いが、それまでの小規模で等身大の物語ばかりだった日本映画としては破格の予算をかけて作られ、主題歌を当時絶大な人気を誇るニューミュージックの旗手に歌わせて、単なる懐古趣味でなく幅広い観客に訴えかけることに成功したのです。

その大ヒットをみて、東宝が負けじと製作したのが、太平洋戦争で当時最強と謳われながら、勝利から敗北、壊滅への悲劇的な道筋をたどった、帝国海軍連合艦隊を描く『連合艦隊』(1981)。そのどちらの特撮も東宝の特殊撮影班が担当し、日本映画では珍しい大ヒットとなりました。

『二百三高地』では、大島三原山の裏砂漠を荒漠たる戦場に見立てて、大量のエキストラを投入した白兵戦が中心で、特撮はその山を中心とした情景と山頂から狙われ攻撃を受ける軍港の艦船のみでしたが、『連合艦隊』は、かつて8月15日の終戦記念日に公開され、“8・15シリーズ”と銘打った東宝戦争映画シリーズの復活を喧伝したので、円谷英二監督時代を彷彿とさせる規模のミニチュア艦隊が作られ、撮影所のプールを埋め尽くし、所内を軍服姿のエキストラが闊歩するようになりました。