人の顔に銃創を穿って見せた『ゴッドファーザー』

映画の歴史の変換点は100年も続いてれば何度もあるわけだけど、突然訪れるわけではなく、すごい技術が年月と共にこなれてきて、それをうまく消化できるような企画や演出が出現することによって初めてもたらされるのです。 『スター・ウォーズ』(1977)や『未知との遭遇』(1977)の約10年前にはそれらの作品たちの表現における先鞭をつけた『2001年宇宙の旅』(1968)がそびえ立っていて、先進的な技術が文字通り先行して先鋭化されていますが、決して万人の理解と投機目的の出資者の満足は得られません。ファーストペンギンの哀しみであり、その技術が応用されて娯楽映画の最前線に降りてくるまで、だいたい10年はかかるようですな。

さて。古今東西、映画で描く主題でもっとも観客の心をとらえるものは、「愛」と「死」だといわれています。 その瞬間の再現不可能な動揺こそ間近で体験したいけれども、多くの人の場合、体験できるのはそれぞれ数回でしょう。当然身近で体験すれば相応の代償を覚悟せねばなりません。そんなえがたい経験を入場料だけで体感できるからこそ、お客様は誰かが愛したあいつが死んでしまう、そんな擬似的な人生の波乱に心掻き乱されに、わざわざお金を払って映画館に行ってくださるわけです。

もちろんお金を払えば現実にその体験が味わえるわけではないし、そんなことができたらそれはそれは大変恐ろしい世の中になるので、実は映画は、この100年ちょっとだけかもしれませんが、平和な世の中に貢献しているとも言えるのではないでしょうか。

また、 “誰も見たことのない”宇宙や未来に対する映像表現は、1950年代から幾度となく映画の題材として扱われていましたが、どれも正直表現としては拙く、そのジャンルの地位もB級という屈辱的なカテゴリーに押し込められていました。それが生涯を通して偏執的な映画作りを貫いたスタンリー・キューブリック監督により、徹底的な科学的根拠を執拗なまでに裏打ちしてもたらされた“リアルな表現”として市民権を得るようになりましたが、時を同じくしてもうひとつ、”誰も見たことのない“表現が革命的スピードで発達していました。

映画が生み出す、もうひとつのカタルシス…「死」であります。

それをよりリアルに見せるため、従来ずっと避けてきた直接的表現が、メーキャップと撮影技術と現場処理の物理的な仕掛けの精密な連携で可能になりました。1972年のフランシス・フォード・コッポラ監督の『ゴッドファーザー』では、人物が射殺される場面で、それまで芝居をしていた俳優のこめかみに何の誤魔化しもなく銃創が穿たれるのです。その衝撃は映画のリアリティに格段の進化を与え、その後も『タクシードライバー』(1976)『ディアハンター』(1978)などで、様式ではない死の表現がメーキャップ・エフェクトで結実していきます。

銃弾が顔に開ける穴、食いちぎられた腕から垂れる腱…様式ではない「死」と「変身」のメーキャップ表現が花開き、樋口真嗣を酔いしれさせた【『キャット・ピープル』】_1
『ゴッドファーザー』で蜂の巣にされて死ぬソニー(ジェームズ・カーン)。顔の弾痕は、貼り付けた薄い皮膚パーツをテグスで引き抜いて、穴が開くように見せた(樋口氏談)
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