尊属(そんぞく)殺人の違憲性が争われた事件
日本ではかつて刑法に「尊属殺人罪」という規定があった。尊属殺人罪とは、自分または配偶者の両親や祖父母など「直系尊属」と呼ばれる家族を殺害する犯罪であり、被告人には死刑または無期懲役という殺人罪より重い刑が課せられた。
1968年、栃木県矢板市で、29歳の女性が53歳の実父を殺害する事件が起きた。実父を殺害した女性は、父親から度々強姦され、5人の子どもを出産していた。父親による性暴力が始まったのは、女性が14歳の頃からである。
繰り返される暴行に、女性は母親に助けを求めたが、母親が夫の暴力を止めようとすると夫はさらに暴れ、刃物を持ち出すなど手が付けられない状況になった。力尽きた母親は、ついに娘を残して家を出て行ってしまった。
それから女性は次々と父親の子を出産し、中絶を繰り返す。女性が仕事をするようになると、職場の男性と恋に落ちた。女性はその男性と一緒になりたいと父親に打ち明けたが、父親は許さないと暴れ出し、女性はついに父親を絞殺するに至ったのである。
弁護側は、尊属殺人規定が、憲法の定める法の下の平等に反すると主張し続け、1973年(昭和48年)の最高裁判決は違憲判決を下した。そして、1995年(平成7年)の刑法改正によって、ようやく規定が削除された。
本件において、父親がなぜこれほど娘に執着したのか。複合的な要因が絡んでいると思われるが、殺害されてしまったゆえに明らかにはされてはいない。
刑事手続の中で、加害要因が特定されることなく、収監されてそのまま放置される虐待加害者たちは決して少なくない。性暴力の防止のためには、被害者の救済と同時に、なぜ性暴力を用いるに至ったのか加害者側へのアプローチが求められている。