想定より早い「老い」に、いつ気持ちは追いつくのか

よく「歳を重ねると時間が過ぎるのが早く感じる」と言われる。

その理由としては、「年齢を重ねるほど1年が相対的に短くなる(1歳のときには人生の1分の1だった1年が、50歳になれば50分の1になる)から」という説や「大人になるにつれ日々がルーティン化し、新しい体験が少なくなるから」という説があるようだ。人間の脳には、既に経験したことをスキップしてしまう性質があるらしい。

僕自身「時間が過ぎるのが早い!」と思い始めたのは30歳前後の頃。仕事がようやく安定し、気楽な独身生活にも慣れてきていた。それ自体は幸せなことだが、このまま変わり映えしない日々を繰り返していてはあっという間に老いがやってくるだろう。

1年が相対的に短くなるのはどうしようもないけど、日々をルーティン化せず、新しい体験を意識的に増やすことはできるのではないか?と考えるようになった。

その数年後の、息子の誕生(は、主に妻のがんばりによるものだが)と始まった育児の日々は、僕にとって久々の大きな新しい体験でありイレギュラーの連続だった。

たとえば、一緒に近所の公園に遊びに行くのにも、数十メートル進むのに10分くらいかかる。まだ二足歩行がおぼつかないのはもとより、通り道にある草花の色や形、そこに隠れているてんとう虫や飛び立つ蝶々、ブロック塀の手触り、通り過ぎる車の音や大きさに、息子がいちいち心動かされ立ち止まるからだ。

同じ時間を生きてはいるけれど、息子の一日は初めての育児に戸惑う僕以上に新しい体験の連続で、濃密で長い。彼と同じ速度で歩くことでそれを疑似体験できたのは貴重な経験だった。

とはいえずっと未就学児と同じ速度で生きるわけにもいかない。彼を育てていくためには安定した収入が必要で、そのためにはルーティンワークに戻らなければ。

もともと少なかった外出の機会はさらに減ったが、やがて息子が幼稚園や学校での出来事を聞かせてくれるようになると、僕はいつしか日々のイレギュラーを彼にアウトソーシングしている気分になってきた。変わり映えのない日々は平和で穏やかな日々ということでもある。これはこれで幸せなことじゃないか?

そんなふうに思い始めた頃にコロナ禍がやってきた。リモート授業のために小学校から貸し出されたタブレット端末は息子にとっては新しいオモチャで、家の中で写真を撮りまくった。その中の一枚に僕の頭頂部の写真があり、これが自分の薄毛に気づくきっかけになったのだ。

アウトソーシングしていたつもりのイレギュラーが戻ってきたのだ。想定より早い「老い」というかたちで。

現在、年頃になった息子との会話はめっきり減っている。僕は「老い」をネタに漫画を描くことになり、その過程で人に会って話を聞かせてもらったり、薄毛治療の取材をしたりする未体験の日々を送っている。

これはこれで幸せ……だったと、振り返る日もいつか来るのだろうか。

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トリバタケハルノブ まんが家/イラストレーター。まんが業→「トーキョー無職日記」「ことわざたずね旅(朝日小学生新聞にて隔週連載中)」「酒場はじめます(作画)」など。
イラスト業→「のぞき見探偵が行く!(月刊ジュニアエラ)」「ぶらぶら美術博物館おさらいイラスト(BS日テレ)」「戦国ベースボール」「こども戦国武将譚」 ほか。