ファスト映画も要約サービス、要約動画も本質は同じ

筆者は本を読まない日はほとんどないほど本を読むことが好きですが、そんな人間からすると、本の要約サービス(要約動画)とファスト映画は本質的には同じではないかと思っています。

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ファスト映画が問題なのは著作権の問題ですので、その点を除くとやっていることは同じです。本を読まない人でも映画を見る人は多いと思いますので、映画を例に想像してみてください。2時間ほどの映画を10分で人に説明してもらったとして、それは自分で映画を見たのと同じ効用を得ることができるのでしょうか?

おそらく、違うと思います。

書籍も同様に、本筋には関係のない部分が意外と頭に残ることがあります。それは、読んでいるその瞬間の自分だから引っかかる箇所であり、次に読み返すときにはもしかすると気にならない箇所でもあります。

だからこそ、本というものは読むためではなく自分がどう感じ、どう考えるのかを知るために存在するのだと思います。その経験をすることで自分の言葉として話すことができるようになります。

その数が莫大な量になるからこそ、教養というものが身につくのではないでしょうか。そう考えると、教養のある人から話を聞き続けても教養は身につかないように、要約サービス(要約動画)で教養は身につかないでしょう。