教養がないといけないと思わせた広告の勝利
ここまで見てきたとおり、「教養」と「ファスト教養」は明らかに別物であり、むしろ対極にあると言っても過言ではありません。そして同時に資本主義社会において、多くの人間に欠乏感を与えることが資本主義を動かす力なのだと痛感します。
スロバキアの哲学者スラヴォイ・ジジェクは、このような現状に以下のような発言をしています。
“現代人は足りないものを教えてくれる人を必要としている。だから広告が現代社会に欠かせないのだ。教えられて初めてもっと欲しいという意欲が出てくる”
ビジネス書を売るために、現代人は自分に不足するのは教養であると思わされているのでしょう。しかし、皮肉にも教養とはビジネス書を読んで手に入るものではありません。
また、深い知識ではなく幅広い知識を持つ人は、今後はChatGPTのようなAIツールに脅かされる可能性があります。その時には、人間くさい非効率や無駄が評価されるかもしれません。そして、利益を求めない情報収集が意外と人生に役立つことは少なくありません。
それが本来の教養に近づくことでもありますので、自分の好きを追求してみる時間を作ってみてはどうでしょうか。
取材・文/井上ヨウスケ