スーパーマーケット居抜きのインド寺
隊列の行き先は、宗道駅から数百メートル先にあるSHREE RAM HINDU TEMPLEというヒンドゥー寺院だった。もとはキダストアーというスーパーマーケットだった施設の土地と建物を、実業家であるセンさんが買い取って、同胞のための寺と集会場にした。開山は1年ほど前だという。
このあたりはつくば学園都市が近いので、インド人の研究者や理系人材が多くいる。のみならず、寺ができてからは東京からわざわざ参拝に来る人も多くいるという。東京から来るインド人たちは、御徒町の宝石商や葛西一帯のITエンジニアなどが目立つ。
「インド人も日本人もここに来てください。貧しい人、旦那さんのDVで逃げた奥さん、子どもたくさんいるシングルマザー、来てくれたら私たち、施しをします。私たちの教えですから、施ししたい」
センさんはそう話した。実際に下妻(宗道)まで施しを受けに来る貧しい日本人がいるかはさておき、寺はそうした理念で運営されている。インド人の寺院はどこでもそんな感じだ。
赤だるま、謎の経緯でインドへの出戻りを果たす
寺にはすでに、40~50人ほどのインド人の男女が集まっていた。子連れの人も多く、子どもたちはヒンドゥー語と日本語のチャンポンで話す。寺は現在、かつてスーパーの売り場だった広大なスペースがシヴァ神を祀る本堂として整備されつつあり(まだ7割方は工事中だが)、往年はスーパーに付属する手打ちそば店だったらしき離れの棟も、シヴァの妻であるドゥルガーを祀るお堂になっている。
ドゥルガー堂はすでに完成している。本来は飲食店用だったはずの広大なキッチンでは、男たちが昼食用に大量のベジタブルカレーを作っているところだった。厨房内には手打ちそば店時代の神棚がそのまま残っており、茅葺三社宮の隣で日本風の赤ダルマ3体と、インドの象頭神ガネーシャが仲良く祀られている。
ちなみに日本人にはお馴染みのダルマさんの起源は、天竺(インド)出身の禅僧である菩提達磨(達磨大師)である。厨房の赤ダルマたちは、自分たちが置かれていた建物が身売りされてヒンドゥー教寺院に変わったことで、再び故郷の人たちの信仰対象に変わってしまっていた。
厨房の男たちからチャイをごちそうになったところ、日本国内で飲むチャイとは思えないほど美味しかった。茶飲み話のついでに、その場にいる人たちの出身地を尋ねてみると、グジャラート州、パンジャーブ州、ムンバイ、リシュケシュ……と、ムンバイ以外はインド北部の州や街の出身者が多いようだ。
「南の地方は言葉も文化も違うからね。むしろ北インドに近いネパール人のほうが、寺に来るよ」
話を聞いた一人はそのようなことを言った。14億人以上の人口を抱えるインドは南北の文化の差が大きい。南部のヒンドゥー教は同じ宗教だとは言え、神像のつくりからして大きく違うのだ(総じて南部の方がカラフルで、肉感的な神像が用いられがちな印象である)。