忍びの“心得”は現代にも継承されている⁉

服部さんは、笑いながら、こう答える。

「結論から言えば、我が家に秘伝の書はございません。忍びというのは、その字のごとく、忍ぶもの。忍者が秘密を書き残してどうする?という話になります(笑)。

おっしゃっている『火遁の術』などを書き記したものというのは『忍法帳』のことではないでしょうか。実は忍法帳が成立したのは、太平の世となった江戸時代のこと。

“忍び”には2種類あって、ひとつは我々の祖先のように“諜報活動”に特化した忍び。もうひとつは半蔵や半蔵の父のように、徳川家康とともに江戸に上がり、これまでの褒章で武士として召しかかえられたり、お庭番になったパターンです。
しかし、戦国の世が終わった江戸時代は天下泰平。武士となった忍びたちは、主家の身辺を守る“セコム”のような役割でしかなくなってしまった。そういったお庭番衆たちは自然と掃除夫や会計士といった、要するに雑用係になっていくのです。そもそも忍びの身分は武士より下ですからね。

そんな境遇で服部家を含めたすべての忍びの一族は『俺たちはこんな身分ではない』と不満を抱いた。そこで、『我が一族は水の上も歩けるし、空も飛べる』なんてことを書き記した『忍法帳』が出てきたのです」

〈服部半蔵が『どうする家康』で大注目!〉「火遁の術」などが記される忍法帳のほとんどがウソ!? 服部一族の末裔、老舗和菓子屋代表が明かす“忍術の正体”「うちのあんこも忍術を使って炊いてます」_3
インタビューに応じる服部家14代当主・服部吉右衛門亜樹さん

服部さんいわく、「そのような忍法帳は誇張されたものが多い」そうだが、一方でこんな興味深い話も。

「前述のような流れがあるため、江戸時代に書かれた忍法帳はまゆつばだと僕は認識してます。
一方で、“心得”というものも残されている。この心得とは『いかにして人の信用を得、懐に入り、そしていかに情報を得るか』という忍びの技術のこと。例えば、『忍び込む時には誰々の一つ後ろを歩け』とか、そういうとこまできちっと伝えられている。
我が先祖のような隠れ蓑をまとった忍びは、この心得をマスターしたプロフェッショナルじゃないといけない。

心得もそうだし、忍法っていろんな種類があるということですよね。うち(深川屋)のあんこだって、先祖から伝えられた、いわゆる“忍法”で炊いてるんですよ」