父の寝室で見つかった先祖と家康との関係を記す資料
「歴史学者の磯田道史さんがかねてから我が家に何度も何度も訪れて、“忍びの存在”を確認できるような史料を蔵の中で探されていたんです。でも『これだ!』というものはなかなか見つからず、もう見せるものもなくなってしまって。
それで、父親が寝ている部屋の桐の箪笥の中にあった、小さな風呂敷包みを『まぁ、これでもいいか』と軽い気持ちで持っていくと、その中に『忍びの記述』のある古文書があったのです。それが、2019年のことでした」(服部吉右衛門亜樹さん。以下同)
そこには何が綴られていたのだろうか。
「『伊賀越え』(天正10年、本能寺の変の後に、徳川四天王ほか34名という少数のお供のみを連れた家康が、決死の思いで伊賀国を越え、岡崎まで帰還したという史実。半蔵も同行していたと伝えられている)について綴られていました。
具体的には『明智の謀反により窮地に陥った権現様(家康)を助けた』ということが書いてあったり、『江戸時代の島原の乱の際には忍びに立候補するも落選』『松平隼人という旗本の家に約23年ほど忍びとして雇ってもらえた』といった記述もありました。
覚書としてちゃんと『忍びだった』という記述があるものでしたので、磯田先生は『これは忍びの子孫であることの確たる証拠です』とおっしゃっていました。ただ、私の先祖が忍者だった証拠なだけで、それが僕らに口伝(書面に残さず口で言い伝えること)で伝わっているような“半蔵のいとこである”ということを決定づけるものではないんです」
とはいえ「忍びの証」である古文書は発見された。となると、次に気になるのが「秘伝の書」の存在だ。火遁の術や水遁の術などの「忍法」の極意が記された書ははたして存在するのか。