歴史をつくった名将たちの最期
織田信長 【死の原因】…裏切り
本能寺の変で重臣・明智光秀に裏切られ、自害したのが信長の最後だが、それまでにも信長の生涯は裏切りの連続だった。死ぬ26年前と24年前は実の弟・織田信勝。死ぬ12年前は義理の弟・浅井長政。死ぬ10年前お茶仲間・松永久秀。死ぬ9年前将軍・足利義昭…死ぬ6年前、5年前、4年前…群雄割拠の戦国時代の中で生き残るためには裏切りも必要だったが…それにしても裏切られすぎ⁉
それほどの裏切りを受けるのだから、信長という人物は傍若無人で無茶苦茶な人だったのだろうと思う方も多いかもしれないが、室町幕府将軍・足利義昭が裏切るきっかけとなった「折檻状(お説教)」見れば、信長がかなり世間体を気にする真面目な人物だったことがわかる。将軍として恥ずかしくない振る舞いをするように、信長からの言いつけを守るようになど、かなり口すっぱく説教をしていたそうだ。
徳川家康 【死の原因】…天ぷらの食べすぎ
動乱の時代を終結させ、江戸幕府を開いた徳川家康。健康オタクであり、自分の健康にはかなり気を使っていたようである。当時としてはかなり長生きの75歳でこの世を去るのだが…。
当時では相当めずらしい“鯛の天ぷら”を相当気に入った家康は大量に天ぷらを食べたそう。その結果…家康、腹痛に見舞われる。
一時的に回復したが、その後再度腹痛(それ以外にも腹部にしこり、食欲不振などの症状もあったそう)に見舞われ、健康オタクだった家康は自分で自分の病気を診断し、万病に効くとされた薬を服用していたが、効果なくこの世を去ったのだった。