バアちゃんの家っぽい屋内にアラビア語
「建てるときはちゃんと村の許可をもらいましたが、お父さんは昔から大衡村に住んでいたし日本語もできるので、難しくなかったみたいです。近所の苦情とかも、過去に一度もないですね。お祈りに来る人にはうるさくしないように言っていますし……。というか、そもそも土地が広くて周囲も畑なので、近所にあんまり家がないんですが」
アジズの許可を得て、母屋に上げてもらった。私の祖父母の以前の家とあまり変わらないつくりの、東北地方の田舎に多い感じの日本家屋だが、壁にアラビア語のタペストリーが掛かっていたり、ピンク色の大きな花束を生けた花瓶があったりと、日本の奥州とペシャワールが微妙に混淆した不思議なイスラム空間である。
「小学校のときは、学校に『外人』は僕と兄だけでした。でも、礼拝のときに先生が別の部屋を準備してくれたり、食事は特別に弁当の持参を認めてくれたり、先生からも友達からも理解はありましたね。給食でバナナが出たときに「これ、アジズも食えるんじゃね?」と言ってくれたり。中学と高校はバスケ部に入っていて、すごく楽しかったです」
小・中・高と地元の公立校に通っていただけに、アジズは日本人の友達もかなり多いらしい。
「村の役場でうちを知らない人はいないし、村長も知ってます。前に東京から、日本語ができないパキスタン人が役場に相談に来たときに、父に『通訳してください』と電話が掛かってきたこともありますよ」
モスクと母屋の見学後、辞去にあたって近所にオススメのハラル料理(イスラム教徒が食べてよい料理)のレストランはないかと聞いてみた。どうやら村内に1軒、さらに隣の古川にも1軒あるらしい。そこで昼食を食べに行ってみたところ、生姜をたっぷりきかせたパキスタン系の辛いカレーが出てきて、大変美味しかった。
イスラミック宮城県。いつのまにか、私たちの知らないところで東北の片田舎では足元からの国際化が進んでいた。しかも、(すくなくとも大衡町については)けっこう地元の人に受け入れられていたのであった。
取材・文/安田峰俊