「昨日は村の成人式でした」

周囲には人っ気がなかった。モスクは誰が入ってもいいので、黙って上がりこんでもいいのだが、モスクと建物がつながった形で隣に民家がある。ひとまずこちらに誰かいないかと挨拶に行くと、玄関先に中央アジア風の外見の、痩身の青年がいた。「あ、どうも」と自然なイントネーションの日本語が返ってきたので、名刺を出してこちらの事情を説明し、モスクを見学したいと申し出てみる。

「いいですよ。いま、両親はちょっと国に帰っていて不在ですが、どうぞ見ていってください」

彼はアジズと名乗った。19歳だが、年齢のわりに落ち着いた話し方と立居振る舞いが印象的である。どこの国の人か聞いてみる。

「パキスタンです。僕はペシャワール生まれで、東日本大震災のすぐあと、小3のときに、年齢の近い兄と一緒に日本に来ました。お父さんがモスクを建てたのは、僕が小6のときです」

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オオヒラ・モスク。かつては納屋だった(撮影:Soichiro Koriyama)

アジズは前日に成人式があったらしく、村役場の隣りにある会場で同じ新成人の友達と撮った画像をスマホで見せてくれた。彼は地元の大衡中学を卒業後、隣の大和町吉岡にある黒川高校(私の母と同じ高校だ)に通ったという。パキスタン人の両親から生まれた人なのだが、経歴と日本での日常は完全に宮城県の子である。ただし、敬虔なイスラム教徒なので、前日の成人式の後の飲み会の出席は断ったそうだ。

農機具を置くために使っていた納屋をモスクに

「僕はパキスタンの言葉より日本語のほうが楽ですね。あ、でもいまの宮城県の子は学校でも標準語を喋っているので、言葉は東北弁じゃないんです。もちろん、聞いだら意味はわがりますけども(笑)」

この日は不在だった彼の父のナジブさんは、現在40代後半くらいで、ずいぶん前から日本にいるらしい。アジズは小さい頃は故郷の親類の家に預けられて育ち、すくなくとも11年前に兄とともに日本に来たときには、父は「すでに社長だった」。そして、ナジブ一家は大衡村にあった農家の空き家を買って自宅にした。

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オオヒラ・モスクの訪問前、青森県六戸町で取材中の私。今年は雪がすくないが、東北の冬は大変だ……(撮影:Soichiro Koriyama)

ナワズ・シャヒーン・エンタープライゼスという社名は、ナジブ社長と妻(アジズの母)の名前を取っており、文字通りの家族経営だ。会社のメインの業務は機械輸出で、いまや県内に複数の支社がある。

父のナジブ社長は、9年前に自宅の敷地内にモスクを作った。かつてこの家に住んでいた農家の家族が、農機具を置くために使っていた納屋を改装したのだ。