どうした家康。ヘタレキャラだとは聞いていないぞ
気になった作品を並べてみて気づいたのは、キャラが強めの役を演じるのなら本人も相応のキャラが求められるということ。そこに松潤は完全にフィットする。彼がすべてにおいてストイック気質で、俺様どころか芸能界の王様キャラであることは、ファンでなくても知られている。そして、ただ偉そうというわけではない。
有名なところでは日本一のエンターテインメントと呼ばれた嵐のライブの完全演出だ。自らもステージに立ち、潤沢な予算を操作できる演出家は日本中でおそらく彼だけだ。それだけに厳しく、Netflixで配信中の『ARASHI's Diary -Voyage-』ではスタッフに声を荒げる様子を見かけた。
ふと、『メレンゲの気持ち』(日本テレビ系列)で、片桐仁が「ライブの打ち合わせをしながら、台本を読んで、メイクをしている」と話していたことを思い出す。もう聖徳太子の域である。
とても同じヒト科に属するとは思い難いが、そんな人だからここまでつらつらと挙げてきた役柄を演じ切り、違和感がないのだ。
そして現在放送中の『どうする家康』へと繋がっていくわけだが、ひとつだけ今回の家康役について物申したいことがある。実は私、静岡県浜松市出身で幼少期から何かにつけて「徳川家康だ!」と、教え込まれて育ってきた。遠足といえば浜松城に行かされ、校内に掲示された家康の歴史を覚えさせられた記憶がある。
浜松市民にとって、徳川家康はいわばパイセンのような存在だ。が、今回の大河ドラマを見ていると、タイトル通り、家康は決断力のない軟弱な設定になっている。
おかしい。パイセンがヘタレキャラだとは、学校ではまったく教わっていない。むしろ強く、負け知らずの戦国武将だったと聞いているけれど、どうした家康……。
とはいえ、これまで数多くの俳優が演じてきた剛建なイメージを翻して、戦に及び腰で可愛らしい一面を持つというレア家康を演じる松潤。やっぱり彼だから成立したのだと、第一話で緑の中を笑顔で走るハッピーな家康を見て「似合っている……!」と納得。
気が早いけれど、12月の最終回に向かって、主役の生き様はどんな変遷を辿っていくのか、期待は高まるばかりだ。
文/小林久乃