徳川家康を知るための二冊
二〇二三年のNHK大河ドラマは、徳川家康を主人公にした『どうする家康』である。それを意識して、この時期になると大河ドラマに関連した歴史小説が幾つも刊行される。集英社文庫も、その流れに乗った。ただし面白い趣向をやってのけた。文庫オリジナルで、吉川永青の『家康が最も恐れた男たち』と、植松三十里の『家康を愛した女たち』を、二ヶ月連続で刊行したのである。そこでこの書評も、二冊を一緒に取り上げることにする。
まず『家康が最も恐れた男たち』だ。物語は「人の一生は重荷を負て遠き道をゆくが如し」から始まる有名な遺訓を、最晩年の家康が儒者の林羅山に見せ、「遺訓の言葉はな、恐れた相手たちから学んだことよ」という場面から幕を開ける。そして、武田信玄・織田信長・真田昌幸・豊臣秀吉・前田利家・石田三成・黒田如水・真田信繁の八人について語るのである。
第一話となる「武田信玄」は、徳川軍が武田軍に大敗を喫した、三方ヶ原の戦いを扱っている。合戦の後、信玄が病没したことにより武田軍は撤退するが、それまでの行動は恐ろしいほど用意周到だ。ここから家康は、「大業を成すには、ことを急ぐべからず。周到に、慎重に……幾重にも罠を張るべし」と悟るのである。
なるほど、家康が恐れた男たちから教訓を得るというのが、各話のスタイルかと思ったら、次の「織田信長」が凄かった。長篠の戦いで、武田勝頼の打つ手をコントロールする信長を見て、自分の至らなさを痛感する家康。その場面もいいのだが、幾つかのエピソードを経て家康が信長の心の“歪み”に気づく展開に興奮した。物語は、家康が信長と同盟を結んだときに覚えた、かすかな違和感から始まるのだが、ここからすでに伏線が張られているではないか。信長を破滅に導いた歪みを暴く、作者の筆致が素晴らしい。しかも同時に、信長を反面教師とした家康が、自分なりの天下人像を確立していく。つまり、家康の理想の萌芽まで捉えているのだ。この話のためだけでも、本書を買う価値があるといいたくなる傑作だ。
以下、真田昌幸に振り回されたり、豊臣秀吉から巨大な力を見せつけられたりしながら、家康の歩みが綴られていく。関ヶ原の戦いのときに、それと連動するように九州で暴れまわった黒田如水の真意が明らかになる話など、随所に歴史と人物の新解釈があり、楽しく読めた。そして、凡庸であるからこそ“恐るべき男たち”に学べた家康の、到達した場所と境地を、作者は鮮やかに表現したのである。
続いて『家康を愛した女たち』だ。作者は女性を主人公にした、優れた歴史小説を何冊も上梓している。その確かな実力を、本書から感じ取ることができるだろう。
取り上げられているのは、華陽院・築山殿・於大の方・北政所・阿茶局・徳川和子・春日局の七人。どれも女性の語りにより、ストーリーが進行する。冒頭の「華陽院」は、男たちに人生を翻弄された、家康の祖母が主人公。初陣の前に訪ねてきた元康(家康)に華陽院は、彼を含む少年たちと過ごした数年が、何物にも代えがたい日々だったと話す。そこから伝わってくるのは、孫に対する祖母の無償の愛情だ。また、「合戦なき世を作ろうと思います」という、その後の家康の行動を決定する決意も表明されている。
続く「築山殿」は、家康の正室だった瀬名(築山殿)が、夫に対する愛憎を吐露する。「於大の方」は、家康の母親だ。ただし本作で彼女が愛情を傾けているのは、家康の異父弟の松平康俊である。もちろん於大の方は家康も愛しているが、康俊への対処などにより、複雑な想いがある。このような角度から家康と於大の方の関係を扱った物語は、初めて読んだ。
さらに「北政所」で、共に天下泰平を願う、家康と北政所の同志愛が描き出される。その後は、三人の女性の人生をたどりながら、天下泰平のために尽力した家康に対する、彼女たちの敬愛が綴られる。そして全話を通じて、戦国から徳川初期までの時代の流れを、巧みに浮かび上がらせたのだ。
さて、両作の魅力について述べたので、最後は読み方について提言したい。もちろん本は、読者が好きなように読めばいい。だが、せっかく二冊が二ヶ月連続で刊行されたのだ。どうせならば、ちゃんぽん読みをしてはどうだろうか。たとえば『恐れた男たち』の「織田信長」に続けて、『愛した女たち』の「築山殿」を読む。あるいは「石田三成」に続けて、「北政所」を読む。そうすると男のドラマと女のドラマが重なり合い、より深い味わいを得ることができるのだ。
いうまでもなく二冊を読むことで、来年の大河ドラマも、より深く味わうことができる。番組の副読本として、常に手元に置いておきたいものである。