王者はなぜチャレンジャーになれたのか

前田の決断に、異を唱える者は誰もいなかった。田臥が言う。

「実績があったプレーヤーがマネージャーになるって、すごい覚悟が必要だったと思うんです。そういうところにもみんな一目置いていたし、実際、自分らがプレーに専念できるように、練習からチームをまとめてくれたのが前田だったんで。『あいつと一緒に』って、優勝への想いを強くさせてくれましたよね」

田臥が評するように、前田はマネージャーになるとコートで強烈な威厳を作り出した。

「(加藤)三彦先生よりも、僕のことのほうが嫌だった奴、間違いなく多いと思います(笑)」

チームがなかなか安定しなかった時期も、前田は「タイトルを獲れなかったら後輩たちからどう思われるか?」と仲間を鼓舞する。加藤からも「まだ何も成し遂げていないよ」と、常にハッパをかけられていたこともあり、和を重んじる世代がより謙虚になる。

キャプテンの田臥が紡ぐ意志。それはすなわち、チームの総意でもあった。

「『王者』って感覚はそんなに持っていなかったというか。メンバーは一緒でも、その年の優勝は先輩たちがいたからできたことですし。そういうところで、自然とチーム全体でチャレンジャーになっていけました」

「今年も始まるな」3年連続3冠への道

「天才エース」田臥勇太と共にプレーする苦悩…当時の“レギュラー候補”が吐露「僕がわかっていなかったんでしょうね」_4
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少しずつ、チームが機能していく。

畑山がそうだったように、扇田も周囲の動きを察知し、的確なパスが供給できるようになった。攻撃の起点が安定すれば、若月と菊地の動きもスムーズとなり、お家芸である電光石火の速攻劇にも安定感が生まれてきた。

ようやく能代工らしさを形成できた頃、3度目の夏本番を迎えようとしていた。

田臥たちが自転車を走らせる。
能代港へ向かい、壁画が連なる堤防「はまなす画廊」に座ってぼんやりと海を眺める。
菊地がため息交じりに呟く。

「今年も始まるな……」

「そうだなぁ」

田臥が静かに相槌を打つ。

まもなく始まる“地獄”のOB戦。そしてインターハイ制覇へ向け、彼らはしばらく訪れることのない癒しに身を委ねていた。

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取材・文/田口元義

9冠無敗 能代工バスケットボール部 熱狂と憂鬱と
著者:田口 元義
「天才エース」田臥勇太と共にプレーする苦悩。センター・若月「勇太、欲しがってるけど、ガードからパスでねぇな…」_10
2023年12月15日発売
1,980円(税込)
四六判/336ページ
ISBN:978-4-08-788098-4
のちに日本人初のNBAプレーヤーとなる絶対的エース・田臥勇太(現・宇都宮ブレックス)を擁し、前人未踏となる3年連続3冠=「9冠」を達成した1996~1998年の能代工業(現・能代科技)バスケットボール部。

東京体育館を超満員にし、社会的な現象となった「9冠」から25年。
田臥とともに9冠を支えた菊地勇樹、若月徹ら能代工メンバーはもちろん、当時の監督である加藤三彦、現能代科技監督の小松元、能代工OBの長谷川暢(現・秋田ノーザンハピネッツ)ら能代工関係者、また、当時監督や選手として能代工と対戦した、安里幸男、渡邉拓馬など総勢30名以上を徹底取材! 
最強チームの強さの秘密、常勝ゆえのプレッシャー、無冠に終わった世代の監督と選手の軋轢、時代の波に翻弄されるバスケ部、そして卒業後の選手たち……
秋田県北部にある「バスケの街」の高校生が巻き起こした奇跡の理由と、25年後の今に迫る感動のスポーツ・ノンフィクション。

【目次】
▼序章 9冠の狂騒(1998年)
▼第1章 伝説の始まりの3冠(1996年)
▼第2章 「必勝不敗」の6冠(1997年)
▼第3章 謙虚な挑戦者の9冠(1998年)
▼第4章 無冠の憂鬱(1999年)
▼第5章 能代工から能代科技へ(2000-2023年)
▼第6章 その後の9冠世代(2023年)
▼終章 25年後の「必勝不敗」(2023年)
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