コロナ禍でファンサービスなどファンとの接点がなくなっている危機感
(前編よりつづく)
島田
憲剛さんは現役を離れてからもFRO(フロンターレ・リレーションズ・オーガナイザー)として川崎フロンターレに携わっていらっしゃいます。クラブとしてファンとの接点を非常に大切にされていますよね。
中村
そうですね。ただコロナ禍によってそこがなかなかできなくなっているのを僕は非常に危惧しています。いま、(ファンとの接点を)持たなくても、スタジアムに多くのサポーターの方が来たり、グッズが売れたり、試合にも勝っているとなると、接点の必要性を感じない選手が出てくるのが怖いです。僕の杞憂にすぎなければいいのですけど。
島田
私も千葉ジェッツを離れる直前に、そんな感覚に陥りました。社長就任当初は、人気もなくて財政的にも厳しいクラブだったんですけど、次第に盛り上がっていって毎試合のようにアリーナにお客様がたくさん足を運んでくださるようになりました。それまでは社員みんなでチラシを配ったり、なんとか会場に来てもらう工夫をしていました。しかし、そのような取り組みをしなくてもチケットが売れるようになった。
スポンサー営業もそうです。ちょっと前まで飛び込み営業をしたら「ジェッツってなに?」と言われていたのが、「どうすればジェッツのスポンサーになれますか?」と営業しなくても話が舞い込んでくる。私もそのとき、中村さんと同じで非常に危惧しました。
中村
そのお気持ち、とても理解できます。
島田
営業で言えば、私はクライアントを獲得するのがどれほど大変かわかっているからフォローもしっかりやっていかなきゃいけないことも肌身で知っています。売れるのが当たり前になるのが、一番怖いですよ。
中村
本当にそうですよね。選手も同じだと思うんです。フロンターレはコロナ禍になる前までは、トレーニング後に練習場に来てくれたファン・サポーターの方たち一人ひとりにサインをしたり、写真を撮ったりとファンサービスをする機会がほとんど毎日ありました。つまり、日々自分たちを支えてくれる人たちをちゃんと可視化できていたんです。それがコロナ禍によって行えなくなったことで、選手たちは可視化できなくなってしまった。
コロナ以後に加入してきたいまの若い選手たちが、ファンサービスを通じて地域の方たちとの触れ合いを体感できていないのが僕としてはちょっと怖いんです。もちろん、フロンターレがこれまでやってきたことを知識・情報として持っていても、実際に体感しているかいないかでは大きく違いますから。クラブもそこに関しての懸念はあるとは思います。
島田
街やクラブ、ファンが盛り上がるところまでたどり着くのは努力の証だとは思うんです。ただスポーツクラブはある意味、公共財として、その地域にずっと生き続けていかなきゃいけない。ひとつ結果が出たとは言っても、もう1回そこは手綱を締めるというか。100年の長いスパンで見ていけば、きつい時期も絶対にあります。なるべくその浮き沈みを減らしていくには、やっぱり危機感をいかに共有できるかってところじゃないですかね。
中村
島田さんは千葉ジェッツ社長時代に、社長自らがファン、スポンサーとの交流をとても大切にされていたとうかがいました。
島田
チームが強くなって、アリーナもお客さんでいっぱいになって、スポンサーさんも集まってきて。でも、それを当たり前に思ってしまうと、どこか(気持ちが)緩んでしまいます。そうならないように、ファンとコミュニケーションを取る機会だったり、スポンサーと会合を持つ機会だったり、そこは絶対にやるようにしていました。
中村
危機感を持って、緩まないように。つまり、社長自らがファンやサポーターの方たちと接することで、よりリアルな現状を把握していたということですね。
島田
そういうことです。
中村
僕は選手も(交流を)もっとやっていいんじゃないかって思うんです。もちろん自分の愛するクラブのため、ということはあるんですけど、僕自身、ファンや地域の方々と交流を持ってきたことによって、サッカー選手としてピッチの中だけではなく、ピッチ外でも存在意義があることを教えてもらいましたし、多くの方たちと交流を図ることで人間的にも成長させてもらいました。結果的には自分にはね返ってくることを感じています。
島田
憲剛さんはもう川崎市とクラブのシンボリックな存在ですからね。映画(「ONE FOUR KENGO THE MOVIE ~憲剛とフロンターレ 偶然を必然に変えた、18年の物語~」)にもなりましたし。
中村
そう言っていただけるだけで光栄です(照)。