人生は何が幸いするかわからない
震災当日、何も持たずに家を飛び出した石尾さんが、物が散乱した家の中から携帯電話を見つけ出したのは1週間後だ。ひきこもりの支援活動をしている林昌則さん(62)から電話をもらったことで、大きな一歩を踏み出す。
林さんは「KHJいしかわ『いまここ親の会』」代表をしており、石川県加賀市でひきこもり当事者向けのシェアハウスを運営している。
実は、震災の1年ほど前にも、林さんに「シェアハウスに来ないか」と声をかけてもらったのだが、そのときは家を出る勇気がなくて断ったのだという。
いじめられたトラウマのある小中学校に開設された避難所には「死んでも行きたくなかった」という石尾さん。車中泊を1週間続けていたが心身の疲労は限界。能登から逃げ出すようで後ろめたさはあったが、林さんの勧めで家族と一緒に能登を出ることに。
金沢に避難して祖母、両親、弟はアパートに住むことになったが、石尾さんは激痛の走る左足の治療のため福井県の病院に入院。骨折とわかり手術とリハビリをして、4月からシェアハウスで暮らし始めた。
「新年を祝っていたのに、何でこんなことが起こるんだ、もう神も仏もあったもんかって思いましたよ。でもね、震災のおかげと言ったら不謹慎かもしれませんが、僕の場合、震災をきっかけに、大きく人生がよくなったという部分はあるんですよ。
ひきこもる部屋が壊れてダメになったんで、選択としては出るしかなかったから。人生は何が幸いするか、わかんないです」
もし、地震で家が壊れていなかったらと聞くと、石尾さんは「今も家にいました。100パーセント、いましたね」と即答する。
「ひきこもっているときも、外の世界への憧れはあったんですよ。でも、いざ出てみたら、すぐ疲れてクタクタになってダメだと思って、うちに帰ってひきこもっちゃう。その繰り返しだったので。
正直言うと、ここに来たときも不安で仕方なかったですよ。どうやってこれから生きていくのかとか、ほんと恐怖でしかなかったです」