田臥にどう合わせるか? 下級生の葛藤

小嶋からセンターを受け継いだ若月は、前年まで自分の主戦場だったフォワードに入る2年生の村山範行と1年生の長澤晃一に、小嶋のプレースタイルを教え込んだ。

個のスキルよりも、ゴール下の位置関係やゾーンディフェンスでの役割などの連携を、実戦で養っていく。「はじめのうちは結構しんどかったけど、だんだんよくなっていった」と、若月は手応えを感じ始めていたが、ほかにも問題はあった。

「シューティングガードの勇太がポイントガードとの関係性に苦労してるなって。畑山さんとのタイミングに慣れていたこともあって、『勇太、欲しがってるけど、ガードからパスでねぇな』って見てました」

新チーム始動時、ポイントガードのファーストチョイスは2年生の堀里也だった。

新潟・鳥屋野中で村山とともに全国大会優勝を経験。身長180センチとガードとしては大型で、得点能力が高くスピードもある次代のエース候補だった堀は、田臥とのコンビネーションが合わずやきもきしていた。

思えば堀は1年生からそうだった。97年8月のインターハイからメンバーに入り、少しずつ試合経験を積んでいったが、周りとの動きが噛み合わない。その年の秋、国体期間中でのミーティングで、「がむしゃらに頑張ります!」と目標を掲げた時も先輩たちの失笑を買った。

「一番ダメなのは、正しくないことを頑張ることなんだぞ」

後日、選手たちを前にそう説いた監督の言葉が強烈に突き刺さった。堀にとって「正しくない」こととは、ポイントガードでありながら得点に飢えすぎていたことだった。そうなると、エースの田臥と動きがかぶる場面が多くなり、必然的に連携が乱れるからだ。

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現在の堀里也さん

「行けるときは自信を持って行っていいんだぞ」。そういった田臥からの檄が堀の攻撃意欲を一層掻き立て、さらにチームバランスが悪くなる。気づけば「ワンミス交代」が増え、ひたすら田臥にパスを供給し、ディフェンスに励む扇田正博にポジションを奪われていた。

堀が悔いるように唇を歪ませる。

「きっと、正しいことを頑張らずに、能力任せでやっていたというか。田臥さんは本当に穏やかで優しい先輩だったんで『もっと積極的にやっていいんだぞ』って言ってくれましたけど、僕が『能代のポイントガードは黒子だ』ってことをわかってなかったんでしょうね」