「川崎区トレセンがあって、ぼくは選ばれました」

アメリカ出身を自称するAは川崎区内の公立小・中学校に通っていた。同学年で“幼なじみ”だったと言う20代の女性は取材にこう証言した。

「同じクラスになったことはなくて、ただ近所の幼なじみとして知っていました。小さい頃から性格が明るく、周りに友達も多かった。小学校はわんぱくな男の子、中学校はサッカー部に所属していて。ただ、部活動が終わる頃から学校に来なくなった。中学時代は学内で悪い奴らと絡んでいるとかは聞いたことがないです。

ただ、高校からは疎遠になり、地元でも結構悪い奴らと絡んでいると噂で聞いた。そして今日のニュースを知った。『何やってんだろう』という気持ち。顔にもタトゥー入れたりして」

少年時代のA(卒業アルバムより)
少年時代のA(卒業アルバムより)
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この女性は岡崎さんの兄とも面識があると言い、こう続けた。

「被害者のお兄さんとは面識もあるんです。それで、事件になる前からSNSで妹を捜していたことも知っていたんですが、ストーカーしていたのが彼とは知らなかった」

小学校の卒業文集でもAは「初めてのサッカー」と題し、小1から始めたというサッカーについて次のような子供らしい文章を寄せている。

<ぼくの初めてのポジションは、ディフェンスでした。とても難しいです。ぽくは、サッカーの事はあまりわからないけどそのポジンョンになれてきて先発に選ばれるようになりました。とてもうれしかったです。それから二~三年生まで先発だったんだけど四年生からふざけるようになり、ベンチになり、ぼくもふざけないでやる様になりました。それから五年生で、川崎区トレセンがあって、ぼくは選ばれました。とてもうれしかったです。今の六年生は、とても楽しく、大会で優勝には行かないけど、みんなで二位になりました。これからは、県大会で優勝してみんなに自慢したいです。>

行方不明になっている岡崎彩咲陽さん(写真/親族提供)
行方不明になっている岡崎彩咲陽さん(写真/親族提供)

文集では他に、この地方ではお決まりの日光への修学旅行の思い出や、将来の夢としてプロサッカー選手になって家族に楽をさせたいと、泣かせるようなことも書いている。以下の通りだ。

<ぼくは、高校生サッカーに出て得点王になってプロになってお母さん達に楽をさせたいです。プロになって一年間だったら日本代表に選ばれてお金をかせぎたいです。外国に行って外国でもプレーをして外国のチーム、強いチームにスカウトされて、お金をいっぱいかせいで、家をごうかにしてお母さんに楽をさせて長生きしてほしいです。そしてぼくの家の人達に楽をさせてみんなが……笑顔で暮らしてほしいです。>