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田臥世代に課された「3年連続3冠」

田臥勇太がもみくちゃに…異常だった能代工フィーバーから24年。“高熱でダウン”田臥らメンバーが明かす「9冠の舞台裏」_1
当時、能代工メンバーが乗ったバスを囲むファンの姿 ©産経ビジュアル
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この夏もまた、こってりと絞られた。

1998年7月、インターハイ直前に行われたOB戦。大学と実業団の第一線でプレーする能代工を知り尽くした先輩たちが、現役プレーヤーを刺激する。

ゴール下のリバウンドからルーズボールの奪取、オールコートプレス、電光石火の速攻の強化。およそ1週間、勝ちへの執念をひたすらアップデートさせられることで、チームの士気が一層高まっていく。

そこに慢心はない。この年のキャプテン・田臥勇太の言葉が物語る。

「僕らの時代はデータや情報がそんなにあるわけじゃなかったんで。対戦したことがある強豪校なら、少しは対策を立てられましたけど、実際に試合をするまでわからない部分も多いし。相手は失うものがない感じで向かってくるんで、油断なんて全くなかったです」

シューター菊地「感覚が研ぎ澄まされていた」

この年の高知インターハイ。能代工は初戦からギアを上げた。準々決勝までの3試合のうち2試合を100点ゲームで快勝し、迎えた市立船橋との準決勝。相手の2年生センター・鵜澤潤は身長196センチとサイズがあり、なおかつ左利きのためゴール下でリバウンドのポジショニングやタイミングが取りづらい。

そこで有効となったのが、菊地勇樹の3ポイントシュートだった。

1年生からレギュラーだった経験豊富なシューターも、「2年までは水物。打ち続けることでメンタルが鍛えられましたね」と笑う。

「責任感っていうのかな。(加藤)三彦先生からも『お前がシュートを打てるのは、田臥や若月が走ってくれているからなんだよ。そういう感謝も忘れるなよ』って言われていたんで。3年になってその気持ちが強くなりました」

田臥勇太がもみくちゃに…異常だった能代工フィーバーから24年。“高熱でダウン”田臥らメンバーが明かす「9冠の舞台裏」_2
現在の菊地勇樹さん

このインターハイ、菊地はシュート感覚が研ぎ澄まされていたのだという。