レコードデビュー前に25万人以上を熱狂させた
1969年10月10日、キング・クリムゾンのデビューアルバム『クリムゾン・キングの宮殿』がリリースされた。
ロバート・フリップが、マイケルとピーターのジャイルズの兄弟とともに活動していた前身バンド、ジャイルズ・ジャイルズ&フリップは、ヒット曲が出ずに行き詰っていた。
そこにマルチ・プレーヤーで作曲もできるイアン・マクドナルド、作詞や照明でバンドのイメージを作り上げるピート・シンフィールド、そしてピーターが抜けてグレッグ・レイクが加わり、5人が揃ったのは1968年のこと。
年が明けた1969年1月、バンド名はシンフィールドが作詞した『クリムゾン・キングの宮殿』から取って、キング・クリムゾンとなる。
難しいフレーズやリズム、複雑な展開を正確に演奏する洗練されたテクニック、即興演奏が生み出す緊張感、シンフィールドの歌詞が描く現実離れした世界観は瞬く間に評判を呼び、レコードデビューも果たさないうちに、キング・クリムゾンは大舞台に立つことになる。
1969年7月5日、ロンドンのハイドパークには25万人以上もの人々が集まっていた。メインアクトはローリング・ストーンズ。メンバーのブライアン・ジョーンズの訃報を受けて急遽、追悼コンサートとなった。
のちに彼らの代表曲となる『21世紀のスキッツォイド・マン』で幕を開けると、その強靭なサウンドに会場の空気は一変。そのまま畳み掛けるように次々に展開していき、わずか40分弱で7曲を演奏した。
最後はサイレン音が鳴り響く中、ほとんど無名に近いバンドに対して、地響きのような歓声と拍手が送られた。
キング・クリムゾンのパフォーマンスは、各メディアで称賛の嵐を浴びた。彼らの名前と評判は広く知れ渡り、3か月後の10月にリリースされたデビュー・アルバムは全英5位の大ヒットとなった。