「人気」はコントロールできるのか?
速水:ご著書、面白かったです。「学者が新書を出すようになる」みたいな教養のポップ化はさかのぼるとかなり昔からありましたけど、今起きているのはその逆。「インフルエンサーが教養を語るようになった」という変化ですよね。
つまり教養にはニーズがあるということだけど、その背景には何があるのかなと。個人的に印象に残ったのは、AKB総選挙についての箇所です。やっぱりあの仕組みによって、地獄の釜のふたが開いた感じがあって。
レジー:ありがとうございます。2004年以降の自己責任論の空気とAKB総選挙をリンクさせながら論じた第5章の議論ですね。
速水:もともとは「人気」って、見た目や才能、技術なんかで決まっていると思われていたものですよね。でもアイドル的なビジネスのなかでは、ファンサービスをしたり、自分自身や時間を差し出したりすることで、つまり「努力」することで人気を蓄積していける側面があった。それを仕組みに落とし込んで数値化したのがAKB総選挙だったのかなと。
レジー:そうですね。加えて、演者の努力だけでなくファンの努力も数字で見えてしまう。「数字を伸ばす」ことの快楽、貢献する快楽にファンが目覚めてしまったわけですよね。今だとYouTubeの再生回数が典型ですが、「その動画がどれだけ再生されたか」という人気指標を、演者もファンも一緒に追いかけている。
エンターテインメントに限らずすべての物事が可視化された数字で判断されていくことへの違和感や危機感は、『ファスト教養』の全体に通底している問題意識だと思います。
速水:「インフルエンサー」って文字通り、影響力の数値化を背景に出てきた存在ですよね。これまでの「有名人」は特定の分野の業績によって有名になっていたけど、インフルエンサーはまず先に「人気」という影響力を持っている。
これって、本来は曖昧なものだったはずの「人気」が、フォロワー数とかの数字としてパッとわかるようになったからこそ成り立っているわけで。あらためてインフルエンサーって不思議な属性だなと。
レジー:そうですね。そういう存在が現れたことも踏まえつつ、今あらためてAKB総選挙を捉え直す必要があるんじゃないかと僕は思っています。
ファンの力を行使することで物事を実際に動かせたりする、というのは今やすっかり当たり前で、むしろ「ファンを動かす」ことこそマーケティングにおける目指すべき状況のような扱いになっていますが、そこにある危うさみたいなものはあまり語られてない気がするので。
速水:落合陽一が最近Twitterやnoteなどに「人気の奴隷にならないように」みたいなことを書いていて面白いなと思ったんですよね。これは、「人気はある程度コントロールできるものである」という発想の裏返しでもありつつ、人気から逃れることの難しさの指摘にもなっている。とても現代っぽい感覚だなと感じました。
レジー:面白いですね。たしかにAKB総選挙が始まった当時と現在とで一番違うのって、人気のコントロールについての考え方かもしれません。
TikTokとかはわかりやすいですけど、有名になるために「当てにいく」というよりは、何かのきっかけで偶然機運が高まったときにそれをいかにキャッチして加速させるかが大事になっているような気がしていて。
速水:たしかに仕掛ける側の変化はありそう。渾身のひとつを仕込むというよりはとりあえず20個くらい仕掛けて、そのうち1個がどこかに引っかかったら一気にそれに注力する、みたいな。そのスピード感や動き方は今っぽい感じがしますね。
レジー:まさにそんなイメージです。でもそれって本当に「数撃ちゃ当たる」なので、最初に速水さんがおっしゃったような「努力」みたいなものの重要性が実は高まっていくんじゃないかなと。結果的に、ずっと諦めずに薪をくべ続けられる人がまた強くなっているというか。