「いい写真」の3つの要素
仮に、快晴をバックに山頂付近だけに雪が積もった富士山を撮った一枚があるとする。手前には湖が横たわっている。静かな湖面に富士山が見事に映っている。こう書いただけで、なんとなく頭の中にそのイメージが浮かび上がってはこないだろうか。
これは、日本人の多くが思い描く典型的な富士山の最大公約数的なものと深く関係している。
これまでに、そんな写真や映像(動画)を目にした機会が多いからだろう。だから自然に頭にイメージが浮かんでくるのだ。この富士山の写真に対して、先ほどの3人のように大きく違った言葉が生まれるだろうか。おそらくないだろう。少なくとも私は「富士山に見えないですよね。まるで人間」なんて発言はしない。きれいとか美しいとか、見事、行ってみたいといった言葉が大半を占めるのではないだろうか。
それに対して「三沢の犬」はどれほど言葉を尽くしても、言葉だけでそのイメージを第三者に確実に伝えることは容易ではない。理由はあらかじめ共有されているイメージを、ほとんどの人が持ち合わせていないからだ。
富士山のような共通認識、共通の価値観を持ち合わせていない。自分の記憶、過去の体験とすり合わせることができない、といってもいいのかもしれない。だから、犬でありながら、まるで人間などと言われても、想像が膨らむ余地がないのだ。
ここまで書いてきたことを整理すれば、私が考えるいい写真とは、以下の要素を含むものとなる。
・新鮮であること
・多くの人にとって未知のイメージであること(インパクトがあると言いかえてもいい)
・新たな価値観の提示であること
よくいわれることだが、いい写真は作者の手を離れ、勝手に一人歩きしてくれる。このことは間違いない。写真が有名になったり、話題になったり、何かの賞をとったり、新たな仕事が舞い込んできたりすることもある。その後を作者がついていくのだ。そんな写真には必ずこの要素が含まれている。
「三沢の犬」もまた、そんな一枚といえるだろう。
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