1枚の写真に三者三様の見え方がある

「圧倒的に独特だからじゃないですか、やっぱり。こんな風に犬を撮った写真なんか、他にないと思うし。犬に見えないですよね。まるで人間。こっちをクッと振り向いてますけど、あの感じ、あの目つきなんか、もう何かを考えていそうな雰囲気。いちど見たらずっと記憶に残ります。少なくとも他の誰も撮ったことのない犬の写真であることは、確かです」
いかがだろう。3人とも見事に違う答えを出している。

それぞれの答えを読んで、みなさんはどんな感想を持つだろうか。一人は「撮った写真」ではなく「撮れちゃった写真」だと語り、もう一人は「何かに遭遇する瞬間」を強く感じ、さらに「オオカミ」をも連想させると語る。そして私は「犬ではなく」「まるで人間」だと口にする。

本当にバラバラ。まるで違うことを答えている。まだ「三沢の犬」の写真を一度も目にしたことのない複数の人が、この3人の言葉を別々に耳にすれば、どんな写真を頭に描くだろうか。それぞれがまったく異なるイメージを描くのではないだろうか。あるいはまるで違う写真のことを指しているようにも聞こえるのではないだろうか。

「いい写真」を解く鍵が、ここに隠されている。「三沢の犬」は間違いなく「いい写真」といっていい。では、なぜそういえるのか。写真に抱く感想、感じ方が人によってまるで違うところが重要だ。つまり、さまざまな見方、感じ方、読み方ができるという点に注目すべきだろう。

絵ハガキやカレンダーの写真はつまらない、と聞いたことがある方もいるはずだ。「絵ハガキ写真」という言葉も存在する。きれいだが、深みが乏しく凡庸という意味で使われることが多い。一概にすべてそうだとは思わないが、観光用に撮られた写真は確かにそんな一面を持っている。できるだけ多くの人、万人受けする「美しさ」「爽やかさ」「明るさ」といったものが求められるからだろう(そんな写真を撮ることは、それはそれで簡単ではないのだが)。