理想の死って?

多くは「家で死にたい」と願う。調査では国民の44%が「自宅で最期を迎えたい」と1位。続く42 %が「医療機関」と答えるも、その最大の理由は「家族等に負担がかかるから」(厚生労働省「人生の最終段階における医療・ケアに関する意識調査」2023年)。

現状はと見れば、死亡者のうち在宅死の割合は17%で、64%は病院で亡くなっている(同「人口動態調査」2023年)。

家で死にたいと願った者が、そうではない場所、寝床で、どんな思いを抱えて死を迎えていくのか、それは死者の数だけのケース、心があるだろうから想像は及ばない。

だが、各自与えられた臨終へのカウントダウンのなかで、さまざまな逡巡、希望や諦め、絶望が行き交うことは想像がつく。誰しもXデーがわからないため、母の言うように「……でもな」の繰り返しとなる。

今の自分はまだ大丈夫そうでも、時間が経ち、もっと具合がわるくなったら? 歩けなくなったら? 認知症が始まったら? 身内には迷惑をかけたくない。でも、果たして?


母が一人で暮らし続けた故郷の家

母が一人で暮らし続けた故郷の家

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近年理想の死に方として「がんによる死」と答える識者がいる。なんだかよしとされる、いわゆるピンピンコロリという唐突な去り方に対して、病の宣告から死まで一定期間があり、それを別れの時間として生きられること、「さよなら」に時間をかけられることがその理由。

もちろん症状により千差万別、重篤なケースもあれば認知能力の問題もあるわけで、まったく一概には語れないのだが、少なくとも澤田久子の晩年に関する限り、それがけっして逆説的なもの言いでもないように私は振り返る。愚息としては親孝行に間に合った、の感が強い。

彼女のラストの3年間、92歳・93歳・94歳は、死に向かう絶望、悲嘆にくれる3年ではなく、生そのものの年月だった。

イメージでたとえるなら夕暮れというよりは、まだ明るい時間。遅めの日中。太陽は空に浮かんだまま、といった景色で、母と私たちはよくしゃべり、よく食べ、飲み、笑って、泣いて、たまに口げんかもし、たくさんの人を家に迎えた。

ビートルズ「ハロー・グッドバイ」の歌詞なら「ハロー♪」のほうだった。サヨナラじゃなく、ぼくが言うのはコンニチハ。

久しく母一人だった静かな古い家屋─台所が、柱や畳、天井がさんざめき、春夏秋冬春夏秋……と次々新たな季節を迎えていった。がんの宣告がなければ、母と息子がここまで深く交わることはなかっただろう。

「この人はまもなく死ぬ」。それを知ったとき、身内は慌てる。慌てて来し方を振り返り、行く末を想う。その人の人生を想う。

あちこちでばらばらに暮らしていた家族・親族・友人が連絡を取り合い、気持ちがひとつになる。良きさよならをするために集まる。失われた時が戻る。助け合う。時間を大事に使う。

母と私たちに与えられたのは、3年間の、文字通りの「長いお別れ」の時間だった。