「いっぱいいっぱい」だった私
さよならまでの約3年間。東近江市佐生町の実家が主たる舞台となる。最寄り駅は能登川。琵琶湖の東、湖東エリア。彦根市と近江八幡市の間に位置する土地。母が幼少、青春時代を過ごした広島の話も少し。
書くうちにいろいろ思い出すだろうが、記憶を補ってくれる記録が手元にかなり残されている。筆まめな母は日録や家計簿、手紙に加え、ささやかな「エンディングノート」も残した。
母が81歳のときに孫の多田麻実にプレゼントされたもの。以降思いついては書き付けていたもよう。その他ヘルパーや訪問看護師による記録。おくすり手帳などもどさっと。
麻実は写真家で、インタビューにもトライ。珍しい動画も残してくれた。ときおり「談」として載せたのはここから。本書では日々撮り続けた麻実や私の写真に、久子のアルバムからのものもいくつか加えていく。
母のがんを知って以降「いっぱいいっぱい」だった私は、甥と姪、友人、訪問看護師等々にさまざまなメールを送りつけ、数々のやりとりを展開、救われていた。あの日々の出来事、迷い、揺れ動く感情が色濃く焼き付けられている。それらを採録していこう。
本書で「母」「久子」「ひいちゃん」等々、流れ、筆者の気まぐれでさまざまに呼び方が変わるが、要は澤田久子。身内の者が言うのも説得力がないが、面白い人であった。
亡くなってから出てきたもの、残したものを見るにつけ、またいろんな人の証言を聞くにつけ、かなり特別な存在であったことに、今さら気づく。妻がずっと前に「わかってないように思うけど、ひいちゃんはスーパーおばあちゃんだよ」と言ったものだ。
病気を知ってからの母は「巻き込んでわるい」と繰り返し言い、事実大勢を巻き込んだ。でも巻き込まれることは全然迷惑ではなかった。むしろ多くは喜んで巻き込まれ、たくさんのものを提供してくれた。具体的な介護作業はもちろん、アドバイスや励ましもたっぷり。
つまり本書は人を巻き込んだ記録でもある。死を巡る話とはそういうものだろう。たった一人との別れのために大きな動きが起こる。
繰り返し書いておかねばならないが、母の場合は希望通りの在宅死となった。しかし、それは流れで、たまたま、そんなふうになった、に過ぎない。病状、構成人員(動ける家族や協力者たち)、医療施設、居住状況、予算……あらゆる要因が合致した末の幸運な一例であり、ここで息子の澤田康彦が実に天晴れであったから、と間違っても主張する者ではない。
母が亡くなってから一連の日々を思い起こすと、あたかもドローンで山脈を眺めるかのように、全体像は一目瞭然、旅程はくっきりと鳥瞰できる。だがそれは今になっての話。
ここに登場する私たちは、当時奥深い山中にいて、鬱蒼としたブッシュをかき分け、どこをどう歩けば正しいのか、そもそも久子がいつどこでどんなふうに息絶えるかなど、本人を含めまるで見えず、その日その日を動いている。
暗い夜が来て、なかなか明けない夜がやっと明けると少しほっとして、また励まし合い歩き出す毎日だった。
2023年9月6日にベッドで添い寝。苦しんで「死にたい」「死なせて」「裏の柿の木に縄をかけて首をつりたい」「はよ楽にさせて」、そう繰り返す実母の背にくっついて戸惑う次男坊さんよ。安楽死させる方法にまで思いを巡らすくたびれた私よ。
その人はあと五日で望みが叶うのだ。
文/澤田康彦
『この家で死にたいと母は言った 親を自宅で看取るということ』刊行記念トークイベント
日程|2026年5月31日(日)
会場|京都・徳正寺(四条富小路下ル)
詳細・ご予約「メリーゴーランド京都」https://www.mgr-kyoto2007.com/event













