ある人物との出会い
樋口真嗣は、東宝のSF映画『さよならジュピター』(1984)の撮影見学に行ったことがきっかけで、特撮の現場で働くようになる。その頃に出会ったのが、のちにテレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995)を生み出す庵野秀明だった。
「ダイコンフィルムという自主映画を作っているグループの上映会で会ったんです。そこで庵野さんが『大阪で自主映画を作っているから一緒に行こうよ』と誘ってくれて、当時、彼が参加していた〈スタジオ・グラビトン〉というフリーのアニメーターが集まるスタジオに行ったんです。
ところが庵野さんがほかの仕事に手を取られていて、それが終わるまで3~4日、スタジオで待つことになった。そこに増尾昭一さんという優秀なアニメーターがいて、その方が集めたサントラ・コレクションがあったんですよ。それを聴くためのステレオ・コンポもあった。僕からすると宝の山です。
庵野さんを待っているあいだ、ずっと増尾さんのサントラ・コレクションを聴いていました。僕が買えなかったレコードや買わないようなレコードが大量にあったんです。それで、ずいぶん自分の経験や知識を補完することができました」
庵野秀明との出会いは、樋口が音響演出に関わるきっかけにもなった。ダイコンフィルムと、それを母体に創立されたアニメ制作会社ガイナックスの作品に参加し、予告編に音楽を付けたり、映像に仮の音を付けたりする作業を手伝うようになったのだ。
1987年に公開されたアニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、ガイナックスが初めて制作した映像作品である。音楽監督は坂本龍一。樋口はこの作品で助監督を務めたが、いくつかのシーンで映像に音を付ける作業を手伝っている。
「映画の終盤で、宇宙に行った主人公が人類の歴史を俯瞰して見る重要なシーンがあるんです。ところが制作が遅れて絵がなかなかできない。でもフィルムスコアリング(映像にタイミングを合わせて作曲する手法)で作っているので、坂本龍一さんは絵がないと音楽が書けないわけです。
そこで、そのシーンのレイアウト(場面設計)がある程度できた段階で、僕が色を付けて撮影して仮のフィルムを作り、それをガイドに坂本さんに作曲してもらいました。僕が作った映像で坂本さんが作曲することは、すごいプレッシャーでしたね。
『本当に僕がやっていいの?』と。僕はただサントラが好きなだけで、音楽や音楽演出の勉強をしているわけでもないのに」
ガイナックスには設立当初から映像だけでなく音響にもこだわる気風があり、樋口はさまざまな場面で音響演出に関わる経験をすることができた。
庵野秀明が総監督を務め、ガイナックスが実質的なアニメーション制作を担ったテレビアニメ『ふしぎの海のナディア』(1990)もそのひとつだ。
「放送の途中から制作に参加して、ナディアたちが無人島ですごすエピソード(第23話~第34話)を監督することになりました。幸い番組の評判がよくて、音楽の追加録音ができることが決まったんです。
その第2回録音の曲の半分を、庵野さんが僕に分けてくれたんですよ。自由に発注していいよと。それで、作曲家の鷺巣詩郎さんに発注する曲のメニュー(楽曲ごとのイメージや曲調などを示した発注書)を僕が書きました。
『こんな曲にしてほしい』と自分の趣味全開の参考音源まで渡して。鷺巣さんは嫌な顔をすることなく、それに応えてくれました。しかも、映像に音楽を付ける作業もある程度やらせてもらえたんです。
本来は音響監督の清水勝則さんの仕事なんですけど、快くまかせてくださって。音楽の発注から選曲まで、貴重な経験ができました。庵野さんと清水さんには、すごく感謝しています」












