無口で最上級の写真を撮る
「そこからしばらくバンド活動をしていました」
紅一点、女性ボーカルとしてバンドに加入した。
「東京・町田市のライブハウスでライブをしたりしました」
LUNA SEAを輩出した町田プレイハウスは、音楽ファンには知られた名店だ。そこでライブができたことを思い返し、ちょっとうっとりした顔つきで饒舌に語る。実は、中学時代からバンドを細々と続けていたというATARU。しかし、楽曲が気に入らないとすぐに脱退したりして長続きしなかった。
ここでしびれを切らしたように、スタジオ店長が口を挟む。
「いつになったら、また風俗に戻るんだよ!」
鞠子とATARUは爆笑。焼き肉を食べながらの取材はすでに1時間を超えていた。
ATARUは、苦笑いし、オレンジジュースを一口飲んで再び話を進めた。それによると、いくつかのバンドを経て、生活費にも困るようになり、横浜のソープランドで働くこととなったという。そこで師匠となるカメラマンと出会い、引退後、弟子入りした。
高校生の頃から写真に興味を持ち、ブライダル写真も経験した。ATARUが師匠のカメラマンに感じたこととは何か。
「本当に売れるカメラマンは、普通の人が見えないものを見ている。そのうえで、女性の魅力を最大限引き出す、このことは世界一だと感じました」
その師匠の名は明かしてくれなかったが、ATARUによると、無口でコミュニケーション能力は皆無に等しい。たくさんの照明を点けるとか、その場に応じてフィルターを被せたりとかもしない。それでいて、最上級の写真を撮っていたという。
今でもATARUは師匠を超えられないと、しょんぼりうなだれる。しかし、だからこそ師匠の写真を目指して撮っているのだと語る。なかなか超えられない山がある。だからこそ、日々努力する。ATARUの真面目さの源泉を感じるエピソードだと言っていいだろう。
最後に、将来の夢を聞いた。すると、「とにかく知名度を上げること」だと語った。
「スタジオを経営したりとか、いろいろやってみたいことはあります。しかし、がんの再発の危険性は5年間あるそうなので、無理はできない。では、この5年間で何ができるのか。動ける範囲のなかで仕事をして、知名度を上げていくしかない。今言えるのは、ここまでです」
秘めた野心をこう口にした。愛機キヤノンR5MarkⅡを引っ提げ、今日もATARUは風俗嬢を撮っていく。
#2に続く
文/山田厚俊 写真/Shutterstock













