警察官としての使命よりも“怒り”
日露戦争帰り、心的外傷を抱えた主人公の原動力
──『抵抗都市』ではすでに陸軍の二個師団が欧州大戦に従軍しているという状況でした。戦争が長引いてさらに二個師団を追加派兵するという背景があり、それに反対する日本の反ロシア過激組織の動きが新堂の殺人事件捜査にからみ、一触即発の危機を迎えます。『偽装同盟』では本国で進行中の二月革命の影響を統治中の日本に及ぼさないよう画策する秘密警察の動きがあり、それに従うような国内の親ロシア派と反ロシア派の対立が描かれました。第二次大戦後の対米従属のアナロジーとして読むことができました。ところが本書では、ボルシェビキ革命が起き、最初のページにあったように、ロシアは出ていけというビラが街に貼られるなど、国民感情が一方に大きく振れてきていることが暗示されていますね。
もし現実がこのシリーズの歴史の通りであれば、間違いなくロシア革命の影響により、東京でも労働運動は大いに盛んになり、大規模な労働争議が起き弾圧も強くなったことでしょう。その予測を生かしたのが本書の後半の展開でして、これも最初からほぼ決まっていた構想でした。
──もう数年あとの時代ですが、大正デモクラシーの機運とともに、銀座の街を闊歩するモダンボーイ、モダンガールが登場してきます。残された映像や写真を見ると、日本も優雅だったと思いがちになります。しかし本書を読むと、ことさら詳細に描かれるわけではありませんが、そういう風景とはまったく違う生活を庶民の大半が送っていたことが、ロシア人街で暮らしている上中流クラスのロシア人たちと対比される形で、脳裏に浮かび上がってきます。風俗的な面白さも感じ取れるように書かれているので興味深かったです。
ありがとうございます。
──『分裂蜂起』では頭部を殴られ殺され、市ヶ谷の外濠に放り込まれた男の殺人事件を新堂が捜査します。被害者は新堂と同じく日露戦争帰りの自動車修理工と判明。やがて四谷近辺の細民窟の住人が関わっているらしいことが浮かび上がります。
この細民窟は架空の設定です。
──新堂はいわゆる潜入捜査を実行し、犯人逮捕のために命がけの行動を続けます。ここは本当にドキドキしました。
あのプロットはお気づきかと思いますが『レ・ミゼラブル』ですね。六月暴動の際のジャヴェール警部の役を新堂が務めたんです。本書では、ジャヴェール警部のように新堂は殺害犯をどこまでも追っていきます。新堂が殺害犯を追う理由は、警察官としてのミッションだけではないんです。犯人の正体がなんであろうと関係ないんです。日露戦争に出征して幸運にも生きて帰ってきた人間を、無残にも殺してしまった者たちに対する怒りにあるんですよね。
──新堂自身も部隊の八、九割が戦死したという旅順の戦いから、大怪我をして帰還した男でした。無理をすると脚が痛みだす後遺症があるだけではなく、いまだに当時を振り返ることができない心的外傷を抱えています。
せっかく拾った命を消してしまった犯人への怒り。それが原動力であるので、ちょっとプライベートな理由なんです。犯人が革命家であろうとなかろうと関係ない。大日本帝国を革命から守るためなんていう理由じゃない。法律や職務から逸脱はしないけれど、個人的な怒りでもって徹底して犯人を追いつめていく、殺人の告白をさせる。そういう話にしたんです。
──とにかくクライマックスのシーンは圧巻でした。一作目で一緒に捜査に携わった、西神田署の多和田善三巡査部長にユキという娘がいました。出戻りで父と二人暮らし。どうやら互いに憎からず思っているようなのに、新堂がどうも煮え切らない。本書でもなかなかその点に触れられないのでどうなることかと思っていたら、煮え切らなかった理由もほのめかされ、ある結末まで用意されていたのでほっとしました。
ネタバレになるから言えませんが、新堂の状態がどのようなものだったのかは、ある人物との会話がヒントになるはずです。
──その会話はよく覚えていましたが、その裏に隠されていた心情などを、その場でくみ取れなかったのは不覚でした。本書は待望の完結編ですが、あらためて前二作を読み返すと、新たな発見があると思います。それと同時に、佐々木さんの歴史を見る目、現代社会の現実を作品に投影する視点の確かさに感心いたします。
構想から完成までほぼ十年かかりましたが、なんとか無事に物語をたたむことができました。













