忘れられた武士・瀧善三郎との出会い
── きっかけは「夏鶯」という言葉からだったそうですね。
おっしゃる通りで、この作品はまずタイトルから入ったんです。夏鶯という言葉とどこで出会ったのか覚えていないんですが、五、六年ぐらい前だったと思います。たしか小説を書くために集めた資料の中にあって、この言葉いいなと。鳴くべき時期を逃してしまい、季節外れに鳴く鶯を想像すると、たまらない気持ちになりました。それから夏鶯にふさわしい題材が見つかるまで、ずっと温めていたんですが、ある時、ウェブの記事に、まさに『夏鶯』にうってつけじゃないかという人物を見つけました。その人物が、幕末の岡山藩にいた武士、瀧善三郎でした。
── 瀧善三郎といってもピンと来ない人のほうが多いと思うのですが、赤神さんはご存じだったんですか。
私も知りませんでした。実は新渡戸稲造の『武士道』でも触れられている神戸事件の主役ともいえる武士なので、むしろ欧米でのほうが知られているようですね。なぜ日本で知られていないかというと、神戸事件そのものが日本の外交史上の汚点ともいえ、長い間、箝口令が敷かれていたからのようです。
── 神戸事件は一八六八年に岡山藩の武士たちの行列をフランス人の水兵が制止を聞かずに横切り、発砲沙汰になったという事件ですね。同様の事件ではその六年前に起きた生麦事件がよく知られていますが、生麦事件は薩摩藩が起こした事件で薩英戦争のきっかけになったのに対し、神戸事件は明治新政府になってからの事件だったため、日本政府と欧米列強の間で起きた最初の外交問題になりました。
神戸事件によって、神戸は英仏米伊普蘭の列強六カ国に占領されました。まかり間違うとそのまま占領が続いて香港のようになってしまったかもしれないという危機的状況だったんです。その危機を救ったのが瀧善三郎で、瀧一人が切腹というかたちで責任をとったんです。外交上の汚点というのは、政府が一人の武士に、切腹というかたちで責任をとらせたことでした。
── 『夏鶯』の中では神戸事件ではなく三宮事変となっていますね。事件というと警察レベルですけど、事変となると戦争一歩手前というか、警察力じゃ対応できないというところまでいっているよということをさりげなく強調されているのかなと。
その通りなんですが、付け加えますと、これは神戸事件をモチーフにしてはいますけど、かなり大胆にフィクションを加えてるんですね。そのままの史実じゃありませんよという意味も込めています。
どっちつかずの視点から幕末を書く新しさ
── 主人公も瀧善三郎ではなく滝田蓮三郎となっていますね。
瀧善三郎については、その半生がほぼわかってないんですよ。史料に当たってみたんですが、神戸事件については詳しく書かれているものの、それ以外のことはあまりわかっていない。いつどこでどんな家に生まれて、といった外形的なことはわかるんですが、どんな人間で、どういうプロセスを経て神戸事件に遭遇し、劇的な最期に至ったのかがわからない。それがわかっていたらこんなに大胆に創作できなかったかもしれません。
── 史実をもとにしつつ、そこに大胆に創作を入れていくのが歴史小説の面白さだと思いますが、『夏鶯』の場合、史実とのバランスはどうお考えでしたか。
史実がわかっている部分は基本的に改変はしていません。ただし、単純化したり、別の角度から見たりはしています。
モデルにした岡山藩(『夏鶯』では吉備藩)は大きな藩なので組織の力関係が複雑なんです。六家老が藩を治めていたのは本当ですが、小説の登場人物が多過ぎると誰が誰だかわからなくなるので、複数の人物がそれぞれやったことを一人の人物に統合するなど、単純化しています。岡山藩が物産の専売をして成功したり、失敗したりしたというエピソードも史実通りなんですが、少し視点を変えて物語に入れています。
── 『夏鶯』の吉備藩では六家老家の権力闘争に加えて、佐幕か尊王かという悩ましい問題に直面します。吉備藩をどっちつかずの「ヒラヒラ蝶」だと揶揄する言葉も出てきました。当時、おそらく多くの藩で似たようなことがあったんだろうなと想像しながら読みました。
有名な雄藩が幕末にどうしたかということはよく書かれていますが、岡山藩について書かれた歴史小説はあまりないと思うんです。こういう、どっちつかずで何もできなかった藩の視点で書いた幕末小説はかなり珍しいと思います。
未来のことは誰にもわかりませんから判断に迷うのは当然で、現代でも組織の中で意見が分かれますよね。卑近な例でいえばAIです。今、生成AIがどんどん生活の中に入ってきて、この世の中のすべての組織が生成AIにどう対応するかを考えなくてはなりません。積極的に採り入れようとする人たちもいれば、頰被りをして逃げ切ろうとする人、少し遅れて勝ち組に便乗しようとする人など対応が分かれます。そんな中、目立たなくても、組織をいい方向に進ませるために捨て石になる覚悟で一生懸命がんばっている人もいるはずなんです。
歴史上の人物にもそういう人たちがたくさんいたはずです。まだ世には知られていないけれど、実はすごい人がいるんだということを小説で書きたい。『夏鶯』でいえば、瀧善三郎が成し遂げたことを、滝田蓮三郎という主人公に託して、エンタメとして世に出したい。その偉業を、文芸の立場から、読者と一緒に考えたいと思いました。
── エンタメという観点からいえば、『夏鶯』には主人公の滝田蓮三郎がなぜ切腹に至ったのかという大きな謎が一つと、もう一つ、それ以前に彼が永蟄居という処遇になってしまったのはなぜかという謎が読者の興味を引きます。永蟄居という設定は赤神さんの創作だそうですが、蓮三郎に永蟄居という試練を与えたのはなぜでしょうか。
私が書きたかったのは、もともと才能があって、環境と運にさえ恵まれれば春に鳴けるはずだった鶯が、遅れて夏に鳴かなくてはいけなくなる物語でした。そのために永蟄居が必要で、これをこの小説の醍醐味にしようと思いました。永蟄居とは無期限で自宅で謹慎せよということですから、家に居たままの主人公をどう描くかを一生懸命考えました。ある程度は史実に基づきながら、手を替え品を替え、創作も加えつつ、面白く書けたという自信があります。














