名取燎太、中谷雄飛…佐久長聖のエースを担った選手たち
2年時は名取が準エースという位置づけでした。長野県駅伝で1区を試そうかなと思っていたんですけど、移動中に足首を捻挫した影響で、1区に起用できなかったんです。そのときは相当、叱りましたね。実は視力が悪くて、メガネをかけることもなく、コンタクトレンズもしていませんでした。そのため移動中に落ちていた石に気づかず、つまずいたんです。それからはコンタクトレンズをつけるようになりました。
2年時は北信越駅伝で1区を走って、全国高校駅伝は4区を区間6位と好走。3年時は全国高校駅伝1区で区間賞を獲得しました。もともとラストスパートがある子じゃなかったんですけど、インターハイ5000mで目覚めたんです。今まで見たことのないラストスパートをかまして、決勝に残りましたから。全国高校駅伝前にも「インターハイのようなスパートを出せよ」と声をかけました。最後にスピードのある塩澤稀夕選手(伊賀白鳳)を差し返したのは感動的でしたね。
東海大学では3年時の全日本大学駅伝8区で日本人トップに輝き、チームの日本一に貢献しました。4年時は箱根駅伝で花の2区を務めています。長い距離に強く、実業団のコニカミノルタではマラソンに挑戦中です。まだ結果は出ていないですけど、彼の性格上、淡々とやるタイプなのでこれからでしょう。今季(25年)は5000mで13分33秒08の自己ベストを出して、日本選手権にも出場しました。今後が非常に楽しみです。
中谷雄飛は当初、県内の別の高校を志望していましたが、村澤明伸に説得を手伝ってもらい、佐久長聖に来ることになりました。中学時代は800m・1500mの選手だったので、彼の持ち味であるスピードを磨きながら、どう距離を伸ばしていくのか。そう考えながら指導しました。
入学時、全国高校駅伝は1年目に3km区間、2年目に5km区間、3年目に長距離区間を走れたらいいよね、という話をしたんです。1年目は全国高校駅伝で2区(区間19位)を走りました。本人が納得するような結果ではなかったと思うんですけど、彼の成長プランのなかでは予定通りです。「来年はアンカーを走りたいです」と言ってきたくらいなので、練習意欲が高く、オーバートレーニングで貧血になってしまったほどです。
貧血の改善を最優先して、2年目を迎えました。当時、8月下旬に全国高校選手権の1万mがあり、名取が出場予定でしたが、中谷も出場すると言ってきました。1位が齋藤椋選手(秋田工業)、2位が名取で、3位に中谷が入ったんです。それで本人も長い距離のイメージをつかむことができて、駅伝シーズンは長距離区間を担うようになったんです。













