8歳の衝動から生まれた「耳につけないイヤリング」
――水野さんは、小学5年生のときに「耳につけないイヤリング」を発明し、翌年には特許も取得され現在では、サッカーJ1の名古屋グランパスや、オタフクソース(広島)とのコラボも話題ですが、そもそも、どんなきっかけで生まれたアイデアだったのでしょうか?
水野舞(以下、同) 私は先天性胆道閉鎖症という病気で、生まれてから4歳頃まで入退院を繰り返していました。病院のベッドの上でできることは限られていて、毎日が退屈で……。
そんなある日、同じ病棟の少し年上の子がマスキングテープで何かを作っていたんです。それを見て「楽しそう!」と思って、私も工作にハマりました。そこから物づくりが大好きになったんです。
ピアスやイヤリングに興味を持ったのは、ちょうどその頃。「お母さんとおそろいのピアスをつけてみたい」と思ったのですが、当時の私にはピアスの穴を開けるのは怖いし、イヤリングは痛くてつけられなかった。それなら、「自分につけられるアクセサリーを作っちゃおう!」と、小学2年生のときに思い立ったのが始まりです。
――「かわいいけど痛い」「おしゃれしたいのにできない」という、小さな“もどかしさ”を解決しようとする発想力がすごいですね。そうした「気づける力」はどこで育ったのでしょう?
気づくというより……私、けっこう“我慢ができないタイプ”なんです(笑)。
「大人になったらオシャレできるよ」と言われても、8歳の私にとっての“大人”はあまりにも遠すぎて。「今すぐやりたい!」って気持ちを抑えきれなくて、家にあったビーズやヘアピンを組み合わせて、自分の髪に留めて“イヤリング風”にしてみたんです。
耳に直接つけなくても、おしゃれが楽しめる方法を見つけたときは、本当に嬉しかったです。それが『マイヤリング®』の原点になりました。
――特許取得や会社設立という決断には、ご家族や周囲の影響もあったと思います。どんな環境が後押しになったのでしょうか?
小学4年生のとき、父の知り合いの弁理士さんと話す機会があって、その方に「このアイデア(マイヤリング®)、すごくいいんじゃない?」と声をかけてもらったんです。自分の発想が大人に認められたのがすごく嬉しくて、「特許ってなんだろう?」って興味を持つようになりました。
もちろん、最初は何も分かっていませんでした。でも、その弁理士さんが“特許とは何か”を、まったくの初心者でも分かるように一つひとつ教えてくれて、そこから特許を取得するための準備を始めました。
たまたま父が研究職だったこともあって、特許や起業といった話を自然と聞ける環境にいたのが私にとっては大きな要因でした。工作だと思っていた自分のアイデアが、「これはちゃんとした“発明”なんだ」と気づけたのは、そういう大人たちが周りにいてくれたおかげだと思っています。