僕がインド仏教僧になったわけ

僕は数年前から初対面の方々に驚かれることが多い。頭を剃髪して(いわゆるスキンヘッド)、日によってはオレンジ色の袈裟をまとっているからだ。KASASAGI代表としての仕事を続けながら、2021年にインド仏教僧として出家した。突拍子もない行動と思うかもしれないが、いま自分が目指す仕事とも深く関わるので、ここで書いておきたい。

僧になった塚原さん
僧になった塚原さん
すべての画像を見る

当時、会社の業績は創業時(年間売上38万円!)に比べ急激に伸び始めていた。しかし、仕事が広がるほど忙しくなり、皆が疲弊していくという負のスパイラルに入り込んでいたと思う。特に共同創業者の岡⽥佳⼈は、人生を賭けて一緒に会社を始めてくれた恩人・親友であるにもかかわらず、僕が日々つらくあたった結果、重圧から精神に不調をきたしてしまった。僕自身、成長にとらわれて進むべき道を見失っていたと思う。

悩んでいたとき、小野龍光さんと知り合った。地元密着型掲示板サービス「ジモティー」など数々のIT事業を牽引し、ベンチャー投資家としても知られた方だ。僕がかつて志した世界のスター的存在とも言える彼が、突然にインドで出家したという。驚きつつ、今の自分にヒントをもらえるかも、と引き合わせてもらった。悩みを相談するうち、龍光さんの師・佐々井秀嶺上人がいるインドへの旅に誘われたのだった。

そうして僕は、インド中西部のナーグプルに佐々井さんを訪ねた。ご高齢でお声も出づらそうだったが、日々のお務めの姿に心を打たれた。人様の役に立つためにという一心で身を捧げ、「仏典は頭で読んでも無駄、体で読まないといけない」と仰る言葉を体現するように、早朝から深夜まで街でさまざまな人を助け、老若男女から「上人さま、ありがとうございます!」と挨拶される。

経済的には豊かでない地域ながら、治安は良く、識字率も高いという。半世紀以上も街のために活動してきたことを身に染みて感じ、こういう「仕事」があるのかと思った。その笑顔と背中から大きなものを学んだ滞在だった。

これで旅は終了だと思ったのだが、佐々井さんに「袈裟を着てみたいか」と聞かれ、僕は浅草で観光客が着物をレンタルするような気軽さで「はい」と答えた。すると翌朝なぜか車に乗せられ、道中で佐々井さんに「塚原、着いたら得度式をするからな」と言われる。

とくど? 「僕は会社を経営していて従業員も取引先もいるのですが」と伝えると、「お前はそれを何のためにやっているのだ」と問われ、「一応、人様の役に立ちたくてやっています」と僕。

すると短く「なら良い、がんばれ」と仰っていただいた。後から考えると、そのやりとりが全てだなとも思える。塚原大が「塚原龍雲」になった日である。

ナーグプルで、佐々井秀嶺上人(向かって左)、小野龍光さんと
ナーグプルで、佐々井秀嶺上人(向かって左)、小野龍光さんと