まだ日本にはいくらでも「売れるもの」がある
ヨーロッパ中世にあった「コモン」というのは村落共同体の共有地のことだが、そこで村人たちは自由に放牧をしたり、狩猟や漁撈をしたり、果実や野草を採取する権利があった。
だから、たとえ個人資産が乏しくても、コモンが豊かであれば、生活に窮することはなかった。
けれども、「囲い込み(enclosure)」によって、富裕な人々が共有地を買い上げて、彼らの私有地とすると同時に村落共同体は解体し、村人たちは貧困化して、都市に流入して、「労働力の他に売るものを持たない」プロレタリアというものになった。
日本人もコモンを失い続けている。それが日本が貧しくなっているということの実相である。
このような体制が続けば、日本の国力はどこまでも失われてゆく。でも、エスタブリッシュメントはそんなことは別に気にしていない。彼らにしてみたら「国」なんてどうなってもよいのである。
まだ日本にはいくらでも「売れるもの」がある。
土地も売れるし、観光資源も売れるし、水も売れるし、社会的インフラも売れる。
それを外資に売り払って、私財に付け替えていれば、日本が沈む時に、自分たちだけはハワイでもシンガポールでもカナダでも逃げ出して、日本を売った代価で孫の代くらいまでなら優雅に暮らせる。
だから、彼らははやばやと資産を海外に移し、海外に家を買い、海外でビジネスを展開して、「泥船」から逃げ出す準備だけはしっかり済ませている。
それでもぎりぎりまで「泥船」に踏みとどまるのは、まだまだ持ち出せる「宝」が日本列島には山のように残っているからである。それを洗いざらい持ち出した後に、自分たち専用の「救命ボート」で逃げ出すつもりでいる。