「三流独裁国」に転落しつつある日本

日本は「縁故主義」と「部族民主主義」によって、今や「三流独裁国」に転落しつつある。自民党の世襲議員たちは縁故がらみの部族を形成して、国民から供託された公権力を私利のために用い、公金を私物化している。

そんな無法ができるのは、エスタブリッシュメントのメンバーたちがお互いに融通を図り、連携を密にして、相互扶助ネットワークを形成しているからである。

エスタブリッシュメントは緊密に連帯している。一方、貧しい国民は「自己責任」を求められ、分断し孤立している。奇妙な話だが、そうなのだ。

歴史を顧みても、富裕層、権力者はつねに相互扶助の仕組みを作り、その恩恵を享受している。

それに対して、貧しい大衆は「世の中に連帯などというものはない。全員が自己利益の最大化をめざして競争しているのだ」というイデオロギーを吹き込まれ、それを信じて、苛烈な競争に投じられ、お互いの足を引っ張り合い、公共財の分配に与ることができず、政治的に無力な状態に釘付けにされる。

勘違いしている人が多いが、今の日本社会は全員が弱肉強食の競争に投じられているわけではない。

エスタブリッシュメントはメンバー同士の相互扶助ネットワークを形成して、その政治的・経済的リスクをカバーするという共同作業を愚直に行っている。そのおかげで、エスタブリッシュメントのメンバーに登録されれば、法を犯しても処罰されず、裏金を懐に入れても課税されず、どれほど失政をしてもメディアは報道しない……という特権を享受できる。

「法を犯しても処罰されず、裏金も課税されず、失政をしてもメディアから追及されない」日本は「縁故主義」と「部族民主主義」によって「三流独裁国」に転落してしまうのか_1
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一方、貧しく無力な大衆たちには「勝った者が総取りして、負けたものは自己責任で路頭で野垂れ死にするしかない」という新自由主義イデオロギーが選択的にアナウンスされる。

エスタブリッシュメントは「新自由主義」イデオロギーを宣布しているけれども、自分自身はそれを信じていない。これは貧乏人向けのイデオロギーなのである。

貧乏人たちが決してその階層を離脱して、社会的上昇を遂げることができないように、貧乏人を無力な地位にとどめおくためにきわめて効果的なイデオロギーなのである。

エスタブリッシュメントにももちろんその特権に引き換えに義務は課されている。彼らには職業選択の自由も、移動の自由も、言論の自由もない。

自分の部族に忠誠を誓い、部族から命じられた役割を忠実に演じ、その代償として権力と富の分配に与っているからである。だが、その恩恵があまりに豊かなので、彼らは自分たちの自由を犠牲にしても、彼らの「小さな公共」に忠誠を誓っているのである。