伝説の激闘、その結末……
まだドラフト会議が誕生する前の話である。自らの進路は自分で決めることができた。
監督の部屋に行くと、「そろそろハッキリと決めたらどうだ」と諭された。石井もまた悩める主将の状態に頭を痛めていた。徳武が続ける。
「監督の言葉を聞いて腹が決まった。“国鉄スワローズに入団します”って言ったんだよ。元々は本拠地が東京で、試合に出られる球団が希望だった。そうなると、巨人も候補に入るけど、ここには長嶋さんがいる。球団からは“長嶋をショートにコンバートする”という話もあったけど、そんなことはあり得ないよな。一方の国鉄は箱田(淳)さんがサードだったけど、守備に難があることで有名だった。当時、国鉄のエースのカネヤン(金田正一)に会ったときに、“箱田は暴投ばかりだから、お前がサードを守れ”って言われていた。そんなこともあって、監督と対面したときに、“国鉄にします”って言葉がスムーズに出てきたんだと思う」
ようやく、進路は確定した。石井監督は、「そうかわかった。では、明日から頑張れ」とひと言だけ言葉をかけたという。この晩、徳武は久しぶりに熟睡することができた。
こうして迎えた11月12日、優勝決定再々試合、実に6連戦目である。
神宮球場には6万5000人の大観衆が詰めかける。「立錐の余地もないほどだった」と、この試合を観戦した人々は、後年まで語っている。さらにこの日の試合は、NHK以外の民放4局も中継を決めた。
この日の神宮球場は、日本国中が注目する一大イベントの晴れ舞台となったのである。
2回表に、早稲田の徳武がヒットを放つと、一死一、二塁の場面で七番・所正美の三塁打で2点を先制。5回には、慶應二番手の清澤忠彦から徳武がタイムリーで追加点を挙げる。
早稲田の安藤元博は5回裏に1点を失うものの、6連戦中5回目の完投劇。見事に勝利投手となった。前夜に国鉄スワローズ入りを決めた徳武は猛打賞の活躍を見せた。
6試合で本塁刺殺が実に5回もあった。まさに、両校の意地とプライドが正面からぶつかり合う熱戦は日本中の注目を集めると同時に、令和の現在まで語り継がれる伝説の名勝負となったのである。
「6連戦期間、ずっと不振だったけど、最後の試合で3本のヒットを放つことができた。あの日、きちんと打つことができて、慶應に勝つことができた。これがもしも逆の結果になっていたとしたら、オレの人生もまったく違うものになっていただろうね。第6戦の試合後、オレはすぐにアンダーシャツを着替えた。主将として天皇杯をいただくのに、汚れたままの姿では失礼に当たるから。身を清めて天皇杯をいただく。それはあのときの心からの思いだったよね」(早稲田OB・徳武定祐)