黄金期主力の体は広岡イズムの成果
※「広岡管理野球」として知られる名将・広岡達郎。1970年代にヤクルトスワローズの監督に就任すると飲酒や食事の制限、トレーニングメニューの改善などに取り組んだ。今では当たり前とされているが、当時の球界では異例の厳しさとされていた。
遠征先でも白米を食べさせず玄米を食べさせる、肉ではなく魚や野菜中心の食事制限に対しての先輩方の反発はかなり激しく、喧嘩になる寸前の状況までありました。やりそうな雰囲気はあったのですが、結局は裏で文句を言うだけで実際の行動には移しませんでした。
先輩たちは納得しないままでしたが、だんだんと時が経つにつれて、様子が変わっていきました。他のチームでは夏場になるとケガで離脱する選手が多くなる中で、当時の西武は故障者が出なくなっていました。戦力的にダウンすることなく、シーズンを走りきって、勝ちまくってみると、やはり食事が良かったのかもしれないと、みんなが思うようになっていました。
加えて、ただ制限するだけではなく、理屈を説明してくれたのも良かったと思います。疲れたときのバカ食いはかえって消化吸収に悪いとか、暑いときに冷たいものを摂取しすぎると疲れるとか、体力勝負だからといって肉ばかり食べていると疲労が回復しない、ケガが治りにくい体質になるとか……いろいろと誤った知識を改め、正しい知識を教えてくれるようなことがありました。
確かに、ケガをした選手たちが肉ではなく魚と野菜を中心とした食事にしたところ、思いのほか早く復活できたということもありました。とにかく、体力的に夏にバテる人が少なかったです。こうして、広岡監督の4年間で西武ライオンズの食生活はがらりと変わりました。
ただ、首脳陣が率先して、そういう健康的な食生活をしていたかというと、まったくそうではありませんでした。節制が必要なのはあくまでも選手。
監督、コーチ陣は、寿司屋に行った、焼肉屋に行った、カラオケに行ったと、なんの制限もなかったようでした。でも、選手には「選手生活を長くしたいなら、しっかりやれ」とずっと言っていました。
オフに入ると、結婚している選手の奥さんを呼び、栄養士を招いて、食事や栄養の勉強会をやっていました。こういうものを食べさせてくれとか、野球選手にはこういう食事が適しているとか……。過去、他の球団ではやっていなかったと思います。
今でこそ、栄養指導をするチームもあるようですが、当時、オフにそういった勉強をするのは画期的でした。
体が資本というところを徹底していたとも言えますし、それから他の人があえてやらないところまで、いいと思うことは徹底的にやらせたことが大きな差を生んだように思います。
広岡さんが辞めたあとは、森祇晶さんが後任として監督を務めました。管理野球は継承していましたが、こと食べ物に関しては、好きなものを食べて良いということになりました。
それは大変な解放感がありました。その他の生活や野球に関しての管理は変わらなくとも、食べ物が自由になっただけで、広岡さんに比べたら全然楽でした。
一方、森さんに代わっても「広岡イズム」というようなものは浸透していました。みんな土台からしっかりとつくってもらっていたのです。その当時若かった選手たちが、西武黄金期と呼ばれる時代の主力になっていったわけですから。
私も、現役を終えて監督になったときに初めて「ああ、こういうことだったんだな」と、指導する側になってわかりました。
のちに広岡さんにお会いしたときも、当時、いろいろ教えていただいたことを参考に選手たちに指導をしていますと、話をしたことがあります。