両軍死力を尽くしての大激戦
6万5000人の大観衆が集った11月6日の初戦は早稲田が勝利し、翌7日は慶應が快勝した。そして、この試合に慶應が勝てば優勝が決まる3回戦は、0対3で慶應が敗れた。これで対戦成績は早稲田の2勝1敗、勝ち点1となり、両校は同率で首位に立った。
早大主将の徳武が述懐する。
「選手としては死力を尽くしているから、もうクタクタだよ。当時の早稲田の監督は石井連藏だよ。まだ28歳の若い監督だったから、本当に厳しい練習を課されたものだよ。こうした中で、生きるか死ぬかの試合をしてきた。選手たちは本当に熱い思いで戦っていた。それは早稲田、慶應、それぞれの学生たちも同じだったと思うな。早稲田側にはフクちゃん、慶應側にはミッキーマウス、それぞれ名物の看板を掲げてみんなで一つになって応援する。あの一体感は本当にすごかったから」
試合は翌9日の優勝決定戦に持ち越されることが決まった。
この瞬間こそ、本当の意味での「伝説の幕開け」だったのかもしれない。
第4戦の優勝決定戦、第5戦の優勝決定再試合と引き分けが続いた。
早慶ともに、「あと一本」というところで、決定打が出なかった。特に早稲田の主将だった徳武は、この早慶戦ではすべてにおいて精彩を欠いていた。
第1戦……4打数0安打
第2戦……3打数0安打
第3戦……2打数0安打1打点
第4戦……4打数1安打
第5戦……4打数0安打
ここまでの5試合にフル出場して、17打数1安打。闘志をむき出しにした全力プレーが持ち味である徳武に、このとき何が起こっていたのか? 本人が述懐する。
「第5戦の試合後、石井監督に呼ばれたんだよ。もう、見るに見かねたのだろうね。このとき、オレの下には近鉄バファロー以外の11球団から誘いが来ていた。新聞記者には追いかけ回されるし、早慶戦には負けられないし、主将としての責任もあるし、身体はクタクタなのに、眼が冴えてろくに寝られない。進路が決まらないから、何も手につかない状態。それで石井さんに呼ばれたんだよ」