天才に愛された天才・やなせたかし
「やなせさんの人生を見ていると、天才は天才を知る、ということがよく分かりますね」(柳瀬博一氏、以下同)
やなせはアンパンマンを描く前、すでにイラストレーターや舞台芸術の作成、ラジオ番組の台本作成や文章の執筆・編集など、ありとあらゆる仕事を行なっていた。今でいう「マルチクリエイター」だ。しかも一緒に仕事をしたのは、当代一流の文化人ばかり。
「やなせさんはライターとしても活動していたのですが、とあるインタビュー記事で『永六輔という人がおもしろい』と書いたところ、突然、永さんがやなせさんのところを訪れ、坂本九さんが歌う『見上げてごらん夜の星を』のミュージカル版の舞台美術を頼みました。しかも、やなせさんはそれまで舞台美術をやったことがなかったんです(笑)」
それ以外にも、手塚治虫や向田邦子、宮城まり子、羽仁進など、名だたる文化人から直接オファーをもらうことが多かったという。
「まだマルチタレントなんて言葉はなかったのですが、当時のクリエイターの多くはみんなマルチにいろいろなことをやっていました。永六輔さんがまさにその典型ですね。そういうことをおもしろがる人の目には、同じくマルチな才能を持った人が目に止まります。そこで多くの天才クリエイターがやなせさんに注目したのでしょう。
やなせさんを最初に評価したのは、新しい表現を模索する天才クリエイターたちだったんです」
「メルヘン」がつないだ人脈
やなせの才能は、詩の世界にまでおよんだ。実はやなせは生涯で何冊もの詩集を出版した詩人でもあった。
「その詩はメルヘンな色彩の強いものですが、当時の文芸界ではメルヘンは少し下に見られていました。しかしそんな中でもやなせさんの才能を高く評価したのが、谷川俊太郎さんで、やなせさんの詩集『てのひらを太陽に』で長文の解説を書くなどしました。そこではメルヘンの中にある寂しさや悲しさを丁寧に汲み取っています」
さらに、メルヘンで忘れてはいけないのが、ハローキティなどで知られる「サンリオ」との関わりだ。
「あまり知られていませんが、やなせさんはサンリオの設立当初から深く関わっていました。メルヘン好きであることを公言していたやなせさんのメルヘン願望を叶えてくれたのが、当時はまだ絹製品を販売する『山梨シルクセンター』という社名だった、後のサンリオの社長である辻信太朗さんです」
やなせの詩集や絵本はサンリオから出版されたが、もともとサンリオは出版社ではなく、書籍流通のノウハウはなかった。そこで、同社はゼロから出版の知識を学び、手売りでその詩集を売ったという。
その後、やなせはサンリオから刊行された『詩とメルヘン』という雑誌の編集長を務め、そこでアンパンマンにつながる作品を描いていく。
「サンリオ」と「アンパンマン」という、日本を代表する2つのIPは実は深いつながりがあったのだ。それも、やなせという「天才に愛された天才」がなせる業だったのだろうか。