「ドラえもんへの気合いの入れようは尋常ではなかった」
第7期生として俳優座養成所に入所した大山さんは、1956年にNHKドラマ「この瞳」で俳優としてのキャリアをスタートさせ、多くのドラマやバラエティ番組に出演した。
関係者からその独特な声質が評価され、1957年9月放送の「名犬ラッシー」の吹き替えにて声優デビュー。
その後、テレビアニメ「ハッスルパンチ」「ハリスの旋風」「無敵超人ザンボット3」などの主演声優を務めたのち、1979年に「ドラえもん」にて、ドラえもん役を演じることになった。
その後、26年間にわたり同役の声優を務め上げ、まさに国民的声優となった大山さん。彼女自身、ドラえもんに対する思い入れは相当強かったと、夫・砂川啓介さんは著書『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』の中で触れている。
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彼女のドラえもんへの気合いの入れようは尋常ではなかった。ドラえもんが子供に愛されるキャラクターになるように心を砕き、台本にぞんざいなセリフがあれば、自ら別のセリフを提案することもあったほどだという。すっかり定番となった「コンニチハ、ボク、ドラえもんです」という挨拶も、このようなカミさんの思いから生まれたそうだ。
実際、カミさんはドラえもんを心の底から愛していた。
芸能人には、「仕事関係のものは、自宅では見たくない」という人も多いのだが、彼女は正反対。我が家は、瞬く間にたくさんのドラえもんグッズで溢れ返った。各国の民族衣装を身につけたドラえもんのぬいぐるみ、目覚まし時計、クッション、コップ、茶碗、トースター、スリッパ、バスローブ、貯金箱にカレンダー。トイレに入れば手洗いの蛇口までが、ドラえもんになっている。
そのうちカミさんは、素の声までドラえもんそっくりになってきた。夫婦ゲンカをしたときも、あの声で反論してくるので、
「おい、ペコ、ドラえもんになってるぞ」
と僕が言うと、二人とも思わず笑ってしまい、それでケンカはおしまいだ。
「ドラえもんは、あたしたちのところに来てくれた息子みたいなものね」
ことあるごとに、彼女はしみじみと、そう呟いていた。
(出典:砂川啓介『娘になった妻、のぶ代へ 大山のぶ代「認知症」介護日記』双葉社)
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