今では考えられないようなおふざけもした『ザ・ベストテン』
黒柳さんと僕が共に心がけていたのは、ゲストのみなさんに「『ザ・ベストテン』に出てよかった」と思ってもらうことだった。そのために僕が意識していたのは、ゲストが初めて見せる表情を引き出すこと、初めて語る話を聞き出すことだった。
1979年3月15日、山口百恵さんの「いい日旅立ち」が10位にランクインしたときのやりとり。
「春というと、百恵さんはどんなものに春を感じます?」
「そうですね、新茶なんてね、春っぽいでしょ」
「いやー、いいこと言いますね、新茶。それから?」
「それから……そうですね。あと、なんでしょうね」
「いや、何を言っても感心しますから、ご安心ください」
「あとは、そうですね……薄物のブラウス」
「薄物のブラウス!」
「いやだ、もう!」
百恵さんは最初の質問は台本で知っていた。でも、まさかもう一つ聞かれるとは予想していなかっただろう。困って真剣に考える。そこに素の表情が表れる。見ているほうは「あ、百恵ちゃん、考えている、困っている」とハラハラする。もちろん、こうしたやりとりの前提には「百恵さんなら答えられるはず」という確信がなければならない。
今では考えられないようなおふざけもした。百恵さんの胸元をわざと覗き込み、お尻をむんずとつかんだ。セクハラという言葉がまだ広まっていない時代。誰も百恵さんのお尻を触ったことがない。ならば僕がそのさきがけとならん。さっと触ってキャッと声を上げるだけなら、いかにも予定調和だ。僕は百恵さんのキャッではなく、ギャッがほしかった。
ファンは間違いなく逆上しただろう。ご本人やホリプロからのお咎めはなかったけれど、抗議の電話は来ていたはずだ。
とにかく、それまでの歌番組と違うことをしなければ、と必死だった。こんなこと玉置宏さんはしないだろう、芳村真理さんにもできないはずだ。そんなふうに自分ができる話題づくりを懸命に心掛けた。
『ザ・ベストテン』がとりもった縁なのか、百恵さんの引退コンサート(1980年10月5日)をTBSが生中継した番組で、僕は実況担当を仰せつかった。日本武道館の客席に座って周りを見回すと、客席を埋めていたファンの多くは女性だった。
ラスト近く、真っ白なドレス姿でステージに立った百恵さんが客席に向かって「本当に私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」と語りかけた。頬をつたう涙もぬぐわず、最後の曲「さよならの向う側」を歌い終えると深々と一礼し、白いマイクを静かに床に置いてステージを去った。
コンサートは感動のうちに幕を閉じた。ところが番組が終わるまでにまだ6分余りある。なぜか時間が余ってしまったのだ。ディレクターからの指示は「とにかくつないで」。大ファンだったので話すネタは山ほどあるが、突然の出来事だ。
6分間の空白を埋めるため、カメラに向かって汗だくになってしゃべり続けた。百恵さん最後のステージを間近で見ることができた感激の体験は、悪夢のような記憶とワンセットになっている。