ストゥ(制裁棒)の「打撃練習」
アシㇼパが最初にストゥを持ち出したのは2巻13話で、そこでは「制裁棒」と訳され、悪事を犯した人間に制裁を与えるためのものだと説明されていました。これは『アイヌの民具』(萱野茂氏・著)の記述に基づいたものです。
ストゥはチャランケ「裁判」で決着がつかなかった時の次の手段として、これで相手のことを交互に打ち合うのだ、という話を前著『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』にも書きました。
これはウカㇻといって相当古くからある慣習らしく、探検家の秦檍丸(檍麿/はたのあわきまろ)によって1800年に成立したとされる『蝦夷島奇観(えぞしまきかん)』には、すでにこの図が載っています。
この絵の詞書(ことばがき)には、「ウカリ〔ウカㇻのこと〕せんと云ふ時ハ、双方親族あつまり、先づ罪を犯したる者を槌(つち)にて三度打、次に相手の者も打、たかひに打れて安全なれハ、ツクノヒに及ハす」とあります。
つまり、3回ずつストゥで叩き合って、どちらも無事であったら、ツクノヒ(償い)をしなくてよい。引き分けということでおしまいだったようです。
もっとも、このストゥの実物は各地の博物館に収められていますので、ご覧になるとどういうものかよくわかるはずですが、中にはトゲトゲのついたものや、すごくゴツいものもあり、これで思いきり殴られたら私など一発でダウンすること間違いなしですし、やる前に降参してしまいそうです。
実際、『蝦夷島奇観』には、「其強弱によりて只一打にて転死する者あり。又、半死の病者となるもあり」と書いてあり、やはり命がけの勝負だったようです。
そして「此故(これゆえ)に平生稽古(けいこ)怠慢なく勤る也」とあり、表題も「ウカリ稽古図」となっています。
たしかに最初の絵では、打たれる方が衝撃をやわらげるために、背中に毛皮をまとっています。これはいつか来るかもしれない勝負の日のために、日々鍛錬をしている練習風景のようです。
そして次の絵では、もろ肌脱ぎになった男性を両側からふたりの男が支え、ストゥを持ったもうひとりの男性がこれで背中を打とうと構えています。こちらが本番のようです。