『ゴールデンカムイ』5巻44話で、尾形に銃撃された谷垣が家の壁を切り抜いて脱出するという場面がありました。

谷垣はフチに「おばあちゃん カベ壊してごめん」「必ず戻って直すから」と言って去りますが、フチにとっては壁を壊されたことより、そこから谷垣が外に出て行ったことの方が、心痛む出来事だったと思います。

『ゴールデンカムイ』5巻44話より(©︎野田サトル/集英社)
『ゴールデンカムイ』5巻44話より(©︎野田サトル/集英社)
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 というのは、アイヌは昔はお葬式で墓地に遺体を埋葬に行く際に、遺体を茣蓙(ござ)に包んでから、家の北側の壁(まさに谷垣が脱出した壁)の萱(かや)を抜いて穴を開け、そこから出したからです。

死者の魂がもし無事にあの世に行けずに戻って来てしまった時、出て行ったところから入ろうとするので、玄関から出すと玄関から入って来てしまいます。そこで、壁に穴を開けて出し、その後で壁をふさいでしまうと、戻って来た死者の魂は、出て来たところがなくなっているので家に入れないというわけです。

だから、谷垣が壁の穴から出て行った時には、フチはまるで死者を見送るような気持ちだったに違いありません。

どこの民族でも同じだと思いますが、死者の魂がこの世に未練を残してとどまるというのは、非常に恐ろしいことでした。だから死者がこの世のことを思い出すことなく、安心してあの世へ行けるように、さまざまな気配りをしたものです。

たとえば、壁の穴から遺体を出す時も、頭からではなく足の方を先にしました。頭の方から先に外に出すと、死者が頭を持ち上げた時に家の方を見ることになって、ああ、まだここにいたいと思ってしまうかもしれないからです。

昔の墓地は村からそう遠くないところに作られており、土葬でした。埋葬して墓標を立てた後、村に戻るまでの間、参列者はけっして墓地の方を振り返ってはならないとされていました。死者の魂が視線に気がつくと、村までついてきてしまうかもしれないからです。

また、埋葬した後は、墓地に墓参りをすることはありませんでした。亡くなった人のことを口にするのを戒(いまし)めるというのも、その表れかもしれません。亡くなった人のことを思い出して悲しみの心を抱くと、その思いがあの世にいる死者に伝わって、この世に戻って来たくなってしまうからです。